2011年7月24日日曜日

呼吸を考える

人間が息を吸うときには脳脊髄液が脊髄の中を脳へと押し出すように移動し、脳にある神経組織や感覚組織を刺激して頭頂部の静脈へと吸収される。逆に人間が息を吐くときには脳から脊髄へと移動して、脊髄から静脈へと押し出される。この脳水(脳脊髄液)の移動をイメージすれば、海の潮の干満に似ていると思わされるのは当然だろう。すなわち地球の呼吸作用の結果を潮の干満に見ていると言えるようだ。ここで気になることは呼気と吸気のどちらが干潮で満潮なのかと言うことだが、満潮時、血管に似て網羅されている川を上流の方へと水位が上がっていく様を見るなら、脳から脊髄、脊髄から静脈へと押し出される呼気と、干潮から満潮への移動が同じであることを思わされる。潮の干満は月が特に関係しているから、地球の呼吸は月と切っても切れない関係にあることもわかるし、であれば人間呼吸も月と関連するものがあり、誕生や逝去が月と関連することも理解できる。人間の発想や創造と、呼吸との関係を注意して観察すると、無意識ではあるけれど脳にある神経組織や感覚組織を刺激する吸気の時に創造作業を為している。息を吸うときに考えは浮かぶのであって、息を吐くときは頭の作業をオフにして生命維持作業に没頭させる。息を吸うとき天との授受を為し、息を吐くとき地との授受を為す。呼吸のこの繰り返しのリズムをもって、天地一体としての私が存在している。勿論堕落した存在であるから本来の一体存在とはなっていないけれども、創造本然の人間であるなら呼吸活動を通して天の叡智を地上に浸透させ、地上の精誠を天に届けることのできる存在であるはずだ。呼吸が生命維持に於いて無くてはならない機能であるけれども、と同時に天との関係、地上との関係に於いて、内的霊的な意味で無くてはならない機能を為している。呼吸の内的霊的意味を問うとき、肉体存在としての人間から魂の存在、霊の存在としての人間を見ようとしている。世界会長が呼吸に対して宗教的感性を持ち込み備えることを話されるけれど、内的霊的意味を備えた呼吸ができれば私の魂は蘇生する。

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