2012年10月21日日曜日

ルター その一

マーティンルターに関しての本を読んで見た。ルターと言えば勿論のこと宗教改革だが、当時の教会は献金という形でいくらか収める代わりに免罪符を渡していて、簡単に言えば罪の許しを売っていたということであり、そこに異を唱えたのがルターだった。実は当時のキリスト教会に対するルターと、我々の教会に対して声を上げるグループ派とを見比べてみるとき、その対立様相に似通ったものを見るようで、少し詳しく踏み込んでみたいと思ったからだ。私達が訓読する以上に当時の宗教者は聖書通読を欠かさず、修道院では1回詩篇50編通読、それを1日7回で全編150編だから、全編二回以上毎日欠かさず読み続けることになる。ルターが所属したのはアウグスチヌス修道会でアッシジのフランチェスコの流れをくみ、清貧、貞潔、服従を旨とし、祈り(聖書通読)かつ働け(托鉢)との教えに寡黙に従っていた。元来、免罪符は罪の懺悔でそのとき神父から課せられた行いを果たし得ずに、そういった者達に特赦的な意味で時と場所を限定されて改めて発せられたのが免罪符だったが、そのうちに制度化されるようになり、更にそれが金銭と引き換えに与えられるようになってしまった。ルターは教皇が権威を持つ教会に繋がるのではなく聖書に繋がるべきだと、彼の改革は根本的に聖書に帰る運動、聖書を読む運動であり、ルターの精読から始まって皆と一緒に読み、読んだことを皆と分かち合っていく運動だった。当時、教皇は不謬でありその権威は揺るがないものとされていたが、ルターは公開された論戦で、教会歴史の中で教皇も誤りを犯すことがあったとの意見を口にし大破門を突き付けられた。教皇側からその意見を60日以内に撤回する旨の勅諭が送られたが、教皇は反キリストだと確信したとルターは返送して、結局大破門は揺ぎ無いものとされた。おそらく今の教会に声を上げるグループ派は、ルターの宗教改革と同じような位置で行動しているという認識が少なからずあるはずだ。清平摂理、そして宣布文、更に期限をつけられての警告文、その経緯を思い起こすとあまりにも成り行きが似通っている。