2012年10月7日日曜日
今日の想い 467
いつのまにか日が短くなっていて、朝明けるのも遅いし陽が落ちるのもすっかり早くなった。それでも今日の日中は随分気温が上がって、夏の余韻はまだ残っているなあと思ったが、見る見るうちに雲が広がってきて半時間もしないうちに肌寒くなり、陽が雲に隠れたまま日暮れになってしまった。短い一日が今日も過ぎ去り、ただ時が過ぎ去ることだけを望んでいるかのような毎日だ。実は聖和式から帰ってきてずっと情緒が安定しない。表面上は何ら変わりなく、それまでこなしていた仕事も同じように手をつけてはいるし生活も変わりないのだが、はっきり言って仕事も生活も、手ごたえがないし実感がない。何か空回りしていて、あの日から私の時間は傷のついたレコード盤のように、同じ短い時間を繰り返し繰り返し心無く演じているようだ。毎日のように更新されていた訓読会での御父様の様子を見ることもなく、かといって過去ログを見る気にもなれず、早く地に足をしっかりつけて取り掛からねば現実の問題ばかりは容赦なく襲ってくるのに、一体どうしたものだろう。魂ここにあらずとは言わないけれど、魂が繋がる本性を見失っているように思う。こういうときこそ祈るべきなのだろう。いや、今を祈らずにどう超えようと言うのか。しかしそう言いながらも溜息をつきがちになってしまう。取り敢えず空を眺める。さらに首を反らして真上の上空の先に視線を延ばす。そうしながら足で地を何度も叩いて踏みしめる。それでも肝が座って意志を固められないのなら、自分でビンタを喰らわせればいい。今まで何度もそうやって自分をプッシュしてきた。無理にでも涙を流し、無理にでも感情を吐き出させて、それで次の一歩が踏み出せるならそれで自分は良しとした。体を打てば感情が滲み出る。更に打てば感情がほとばしってくる。堕落性が邪魔をして、思考はどんどん内に篭ってみ旨への意志を押さえ込み、逆に遠ざけたい感情を刺激されれば刺激されるほど意志を固める力となった。今までは押し出してくださる御父様がおられて、しがみついていれば何とかなったけれど、これからは自分で自分を押し出さなければみ旨への一歩は踏み出せない。