2012年10月4日木曜日

今日の想い 466

何人たりとも蕩減を背負わずに生まれ出た人はいない。同時に、何人たりとも責任分担を願われずに生まれ出た人もいない。70億に到達した人類は、ひとりひとり全てが異なる蕩減内容を背負い、と同時に創造理想への異なる役目も担って、地球村一家族全体の勝利を目指している。たとえ地の果てで孤独に生きる名もなき人間であったとしても、何らかの形で同じ理想への役目のひとつを担っている一人の同士だ。更に人類の蕩減に関して言えば、人類誰もが縦的蕩減を横的関係性の中で払っていくのであり、密度の濃い薄いはあるとしても、人類全ての関係性でお互いがお互いの蕩減への関与をある程度持っている。そういった見地に立つなら他人事を他人事とは捉えられないし、ましてや統一家としての私達は真の父母を戴く血統圏であり、蕩減に関しても責任分担に関しても切っても切れない関係性にあり、あなたの犯した罪はあなたの罪、あなたの蕩減はあなたの蕩減だと突き放せないし、祝福の価値を地に落としたとひとりを責めるだけで終わるものでもない。愛を兄弟姉妹の関係性の中に我を忘れるほどに投入させながら、霊的血を更に濃いものにしたいという衝動を燃やすべきだ。一世の問題であれ二世の問題であれ、更に子女様の問題であれば尚更、統一家全体が家族として蕩減を背負うのであり、自分もその圏内のひとりとして背負って当然で、それどころか私が代わりに背負いたいと思えなければいつまでも中心の御父母様から距離を置いてしまう煮え切らない中途半端な存在に終わってしまう。私が負うべき蕩減ですと言ってこそ祝福の血統、御父様の血統圏に自ら進んで組み入れられるのであり、他人事で括るなら私とは関係のない他人の血統圏だとして決定を下したことになる。結果は結果で決して喜ばしいものではないが、血の通った統一家の一人として、姉であり兄であり、妹であり弟ならではの心情と態度を示すなら、サタンがそこに割り込んで介入することはない。今の私達にとって、個人個人の罪の許しと蕩減をあくまで個人が責任を持つという縦割りが問題にされるのではなく、罪を、蕩減を引き受けようとする連帯としての統一家にならなければならない。個人個人のそれぞれに縦的歴史的に繋がれた蕩減の糸を、兄弟姉妹の横的な広がりの中に織り込まれることで、統一家というひとつの網が生じる。真の父母を戴く統一家という網に編み込まれる蕩減の糸を見て、御父様が蕩減の必要のない時代と言われたのだと思う。一人の蕩減は全体の中に、全体の蕩減は御父様の勝利圏に吸収され、全体としての統一家が拡大すれば拡大するほど大海に落とされる悪血は瞬時に吸収浄化される。肉の血縁より濃い霊的血が、統一家という私達の関係性の中に循環している。