2012年10月24日水曜日

今日の想い 478

霞んでいるのはどっちだろう。私の目だろうか。それとも自然そのものが霞んでしまったのだろうか。秋の紅葉が深まってきて、確かに色合いの変化は伺える。しかし去年のそれとは何かが違う。どんなに瞬いてみても、色合いは霞んだようにみえる。自然が霞んで涙に潤んでいるようだ。訪韓したときも雨が多かったけれども、あれ以来雨模様がずっと続いている印象が拭えない。秋の日差しを色鮮やかな輝きに変えて、突き抜ける青空のその先に届けるかのような、そんな真っ直ぐな想いが滲んでいたが、今年の秋は少し違う。確かに色合いは変わっているけれど、そこまでの想いは伝わらない。私の目が霞んでしまったのか、それとも微かな私の感性ですら失せてしまったのだろうか。朝は晴間が広がっていて、久しぶりの秋晴れがやっと広がるのかと幾分心も軽かったが、それもほんの明け方のうちだけで、どんよりした雲が直ぐにも覆い始め、僅かな期待も裏切られる。私は、どうしたらいいのだろう。どうすべきだったのだろう。何か大きな機会を取り逃がしたような、もっと何か深い因縁を繋ぐべきだったような、何かしらの悔悟の想いはあるけれど、悔い改めるまでには至らない。徐々に無気力のクレパスに引き摺り込まれるような、なんともいえない気持ちになる。御父様のおられない地上の秋。御父様に見られることもない秋の彩り。御母様に手渡された桃を美味しそうに頬張っておられた御父様。もうそんな御姿を見ることもない。入院されて処置に最善を尽くされたことは疑いようもないが、説明された何とも痛々しい最後のイメージがどうしても消えない。事実は事実として受け止めるべきだけれども、出来れば耳を塞ぎたかった。その印象は私の目も霞ませ、自然も霞ませる。