2012年10月21日日曜日

ルター その二

仲良くできないこと、兄弟喧嘩が問題だと、食口の多くは思っている。しかしそれは原理を知る者として、統一信仰を持つ者として、余りにも表面的な捉え方だとは思わないのだろうか。できるならそうあってほしいと思わないでもないが、そんな簡単な問題ではなく、私は皆が思っている以上に根は深いと思っている。ルターの宗教改革と同じ位置関係にあるとは思うが、しかし立場は当時と今ではまったく逆転している。ルターを担ぎ上げた当時の改革者と違って、今の彼らはアベルの位置にはない。再臨のメシヤを迎える基台づくりの上での判断と行動と、既にメシヤである御父様を迎えて絶対信仰、絶対服従の行動を取るべき我々が、その判断を御父様に仰ぎ行動するのとは、立場が異なる。不幸中の幸いは御父様が御生存中に事が起こったことだ。御父様が明確な指示を出されたことで、御父様への絶対信仰、絶対服従にある者は迷いがなかった。これがもし聖和された後に起こったと思うと空恐ろしい気持ちになる。サタンが関与しているとして、サタンの狙いの間違いは御父様が御生存中に決起してしまったことだ。御父様がいつ聖和されるかは、おそらく御父様ですら知らずに過ごされた。知ることもでき、決めることもできただろうけれど、敢えて知らずに過ごされたはずだ。御父様が知ればサタンも知るだろう。サタンが知っていれば聖和される後を突いてきただろう。117歳まで生きられるという言葉を口にされて、サタンもそう信じたはずだ。そのミス以外、全ては完璧だった。清平摂理を免罪符まがいに貶め、御家庭の問題を浮上させ、教会の問題を腐敗した幹部によるものだと吹き込み、そしてルターが教皇の誤りもあったと口にしたように、彼ら曰く、御父様も周りの偽りの報告を信じられて誤った指示を出されたと口にした。先にも言ったように、未だにサタンの戦術を知らない食口の多くは兄弟喧嘩だと思っているが、彼らの非の打ち所のない論理攻勢は実に狡猾だ。サタンがここまで利口なのかと思わされたし、御父様は更にその上をいく知恵を使われたとも思わされた。