2012年10月3日水曜日
今日の想い 465
子女様の問題をどう捉えるか。み言葉に照らし合わせれば現実行動は堕落的に思えるし、真の家庭であるなら堕落の血統とは異なる真の血統の基準を見て見せて当然であると思え、その理解と堕落的に見える実態とのギャップが個人と家庭、信仰組織に混乱をもたらしている。何度も触れたように、私は今の自分の悟性では測れない御父様でありみ旨であり現実の状況だという点で一貫している。将来的には原理的な説明がなされるものだとは思うが、今私達が問題に向き合った時点では意図して天に隠されていて、理解せずにそれでも従うか或いはどういう選択、どういう行動を取るかを試されていると見る。肉体を持たれた外的存在の御父様がおられ、教会組織に外的に関与され、御父様の指示が組織の中心を通して私に流れ、その指示に従うことだけに私の意志の殆どを投入してきた。御父様が聖和された今、今度はひとつになられた御母様の指示を戴き、御父様に対するのと同じ内的態度をもって御母様に対する。それは納得するとして、それでは御母様の指示は何らかの手段を通して御父様から来るものであるのか、それとも御父様が全権を御母様に委ねられて御母様の指示を御父様の指示に代わるものとするのか。そういった疑問を始め、ありとあらゆる側面で私の中に問いが氾濫するだろう。その混沌は神様の創造の混沌と同じ状況に投げ込まれていると言える。もちろん私達は再創造の歩みではあるけれども、御父様の聖和に合わせて摂理の舞台は外界から内的世界に移された。御父様が歩まれた勝利の道を今私達は内なる世界に於いて再出発している。絶対信仰、絶対愛、絶対服従は、地上におられた御父様に顔を向けて立てようとしていたが、今は私の内面世界に面して絶対信仰、絶対愛、絶対服従の柱を立てなければならない。自分が立てる柱で自分が住まう内的霊的世界を創造し構築する。その大転換期の意味をわからず、御父様が地上におられた時と同じ態度で外に向かう意志にのみ留まり、内的霊的世界の創造、構築に汗を流し、光あれと意識の光を差込み、意志関与できないのであれば、御父様と永遠に共にあって、御父様に付いて行く自分にはなれないだろう。御父様との関係性が本物で、繋がれた糸が外的なものだけに留まっていたのか、或いは内的霊的にもしっかりと繋がった糸なのか、聖和された霊界の御父様が手繰り寄せられる糸に繋がった者だけが、最初の栄光に与るだろう。