2007年12月18日火曜日
小さな覚悟
店で昨日の集計を終え、さあこれから店の買出しにと備品の在庫をチェックしていた。フロアマネージャーが電話口の相手と話しながら急ぎ足で私に近寄ると受話器を手渡した。ハローとは応えたが向こうから一方的に日本語で話して来る。向こうは名を告げたようだが直ぐには誰か判らなかった。誰なのか思いを巡らす間も与えず矢継ぎ早に状況を伝えたいらしい。一通り聞きながらやっと話の内容が見えてきた。妻が意識を失い倒れたということ、早急に来るようにとのこと、話の最初の方は家に居るとばかり思っていたため話がさっぱり見えなかった。そういえば今日は合唱の集まりがあると言っていた。状況が掴めると急ぎ住所を聞き出し店を飛び出した。この類の報せが来るたびに覚悟を迫られる。今回は何なのだろう。程度はどうなのか。自分の心の何処が痛み、何処がえぐられるのだろう。何度か覚悟を迫られながらその覚悟を現実として見る日が必ず来る。情として先に看取られたい思いは強くてもその可能性は遥かに低い。実際目の前で肉親を見送ったことは無い。祖父が逝ったのを知らされたのは名古屋で活動している時だった。相当苦しんで逝ったようだが母の言葉として聞いただけの事で目の前に実際見るのとはフィルターが幾重にも効いている。遠くの地で訃報を聞けたことに対して祖父に感謝した。自分には人一倍繊細な感情が薄い板ガラスを張り合わせているように自分の心の周りを覆っている。祖父の逝くのを目の前にすることは恐らく堪えられなかった。今、現実を受け止めるだけの魂の深さが今の自分に備わっているかどうかは甚だ疑わしいが、こと妻に対してはそんな甘えは許されないと思う。心が壊れ板ガラスの破片で鋭く傷つけられたとしても、全てを最後までしっかり見届ける責任が夫としての自分にはある。
今年最後の奉公
昼食の要請があり久しぶりに胃の痛い思いをしながら準備して望んだが、決して喜んで頂いた訳ではなかった。今年も暮れかかったこの時に、本来締めの意味で大満足して頂き来年の運勢に弾みをつける機会が、後味の悪いものとなった。全てが期待通りに行くとは思っていなかったが、少しでも元気を与えられればという想いを込めて投入したつもりではあったので心苦しい。しかし結果は結果として受け止める必要がある。ここからが新たな出発点との認識を持って足を進めるしかない。譬えマイナスからの出発であったとしてもだ。ただただ申し訳ない思いで一杯である。過剰に自分を責めるのもそれは自意識過剰の表れである。それは余計に重荷を背負わすことにはなっても安らぎの波を送ることにはならない。すべてが順調に行くとの驕りがあったかも知れない。確かに連絡があったのは今日の事の昨晩なので焦るには焦ったが直ぐに卸のMさんに連絡をとり魚を手配した。そしてそれなりの品もあった。兄弟全員にも朝の準備から入ってもらえるよう手配できた。睡眠時間も小一時間取っただけだが気力もそれなりに備わっている。今日は今日で準備万端で、いつもなら忘れ物の一つ二つはあるのだがそこもクリアーできた。ホテルへの道であるGWパークウェイもいつもながらワシントンモニュメントが見え隠れする頃には混み始めるのだが、差ほど気を焦らせるものでもなかった。何度か迷って往生したペンタゴン周辺。ホテルが目の前に現れると居られるであろう眩しい最上階に目を遣ることもいつものまま。早くてもだめ遅くてもだめという神業を要求されるなかでの神経のはりつめ方もある意味慣れてきたといえば言えるのかもしれない。滞りなくという意識が喜んで頂きたいという想いに勝ったのかも知れない。改めて過去の要請の数々を思い浮かべると、いろんな問題が発生し自分はどうしたらいいのだろうと途方に暮れるような状況においては不思議と喜んでいただいた。準備したもの全て車に押し込みいざ出発というときに車が消えたこともある。ホテルで搬入するときボーイがカートに積んだ荷をカーブで倒しそうになり、大切なシャリをぶちまけられたこともある。そういう時の事は強く印象に残っているし結果オーライだったりする。今回は自分の中でどこかの箍が緩んだに違いない。期待をしてくださったスタッフにも申し訳ないし、私のオーダーを受けて準備してくれた兄弟にも申し訳ない。そして何よりもTPに対して申し訳ない。
2007年12月14日金曜日
富に対する認識
富に対する認識を間違えている兄弟が多い。清貧を持ってよしとする意識は決して悪いとは言えないが、それは自分に対して戒める意識、謙虚さから出るものであり、他人を外側から見て贅沢だのケチだのと思うのは別の所から出ている。人は自分でマネージできる以上の富を持つことは出来ない。家計に於いてどれくらいのボリュームをやり繰りしているか、あるいは事業を営んでいる人であれば規模としてどの程度なのかが自分がマネージできる量を意味する。マネージできる量は人の大きさによる。意識の大きさ心の大きさも人の大きさではあるが財に関して言えば欲望(願い)の大きさがより関わってくる。欲の大きさも人の大きさである。しかし欲の大きさが直接マネージできる大きさに関わるわけではない。宇宙の法則から言って富が向こうから一方的にやってくるということは無い。たとえ懐に入ってきたとしても懐をすり抜けて出て行く。先ず願い(欲)がありそれが器となり入ってきたものでもってより価値のあるものを生み出す時マネージの力量は大きくなる。それに応じて富は増える。兄弟の生活状況がよくない、金回りが悪いというのは本当の意味での願望に至っていない。マネージという授受の法則の理解に欠けている。そしてより良くなることを諦めて今の現状に安住している場合が多い。献金だ献金だと言われても自分の力量以上は出せない。入るものが少ないから出せないのではなくマネージ出来る自分の力量が不足しているから出せない、と認識する必要がある。他人の懐を詮索したり自分の懐を嘆いたりするのはその認識がなく、金など降って湧くものぐらいしか思っていない。そこに当然入るべきものとして自然の法則に従い入ってくる。希望を持たない人、夢の無い人は富とは無縁だ。普通の労働で生活費を手にするのが精一杯だ。
2007年12月12日水曜日
見たくないもう一人の自分
食事を済ますといつものように手のひら一杯の薬を服用する。色とりどりのあずき錠やらカプセルを2~3錠づつ分けながらボトルの水と交互に口に運んでいく。小食の彼女は薬の方が多いと思われるほどで薬で生かされているような感覚だ。僅かの動作で疲れるらしく、ソファーにもたれていることが多い。小さなリビングには不釣合いな大きなソファーで、雑誌を広げたり郵便物を見たり時間の多くをここで過ごす。薬の副作用も手伝ってそのままうたた寝に入ったりする。決して身体にいいとは言えないのでベッドで休むよう肩を揺するが、大抵生返事で終わる。連れ合いの話で始めたが、実はここに出てくるソファーについて触れておきたいと思った。このアパートに移ったとき買ったのでかれこれ15年はこのリビングに居座り続けている。汚れが目立たないようにと選んだ深緑色のものだが15年もそのままにしておいて汚れていない訳が無い。今となってはこの深緑が恨めしい。居座り続けている、と記したのもあまり良い感情をこのソファーに抱いていないからだ。横になって休めるようにしっかり奥行きが取ってある為普通のものより一回り大きい。最初は便利な気もしたが、座って背もたれに掛かろうとすると自然腰の角度は水平に近いものとなりうたた寝体制に入ってしまう。そのうちにそこに腰掛けると条件反射のように眠気が襲い、更に度が進んで睡魔に引き込まれた状態になる。休んでも休んでも疲れは取れず、起き上がる意思を全くそがれる。休んだ後のすっきり感は皆無で休めば休むほどゲッソリ疲れる。ああ、これはここに何か居座っているなと思わざるをえなかった。例えて言うと人の形に成りきらない軟体の生き物と言えば想像できるだろうか。形の定まらない長い手足がそこに腰掛ける人物を背の方からゆっくり羽交い絞めしながら横に倒していく。余程怠惰な妖怪らしく動きはたいそう緩やかで、吸い付いた人物から生気を吸い取っていく。そうはっきりと霊視できるわけではないが、視覚的表現を使うとそう説明できる。ある時、連れ合いがまたそこでうたた寝し始めたので肩を揺すって寝室に行くよう促し、自分は溜まった仕事を片付けようとソファーを背に机についた。彼女は小さく返事をして立ち上がり足を運んでいった、、、、、と思ったのにどうもまだ後ろに気配がある。まだ動いていないのかとやおら身体をひねって目をやると、そこには何と寝そべっている自分がいた。もうひとりの自分を脳裏に映しだした。手足を投げ出して惰眠を貪る自分の姿をはっきりとイメージとして捕らえられた。そこに居座る妖怪か雑多の霊の類に責任逃れをしようとした怠惰という自分の堕落性本性剥き出しの姿がそこにあった。どのような事柄にも自分の本性が投影される。恨みに思ったり忌み嫌ったりするあい対する人物がいるならそれは自分の本性の現れでもある。
2007年12月1日土曜日
石見神楽
ブログに貼り付けている写真は、演題は忘れたが神楽のスナップ写真だ。数年前帰郷したときデジカメで撮った。動きが激しいのでなかなか捕え難く、それなりに撮れた中の一枚だ。季節季節の行事のなかで秋祭りで奉納される神楽は特別である。よく知られている石見神楽系列ではあるがその地方地方での味があって、自分としては我が郷土の神楽はどこよりも勝る、と思う。競演大会などは市民会館等の壇上での舞いとなる為、観客との距離が大きく開くが、祭りでの氏子神社の舞は舞子衣装の刺繍鎧が顔に触れるぐらいの距離で舞う者見る者が一体となる感じがなんとも酔える。花田植えなんて言う郷土芸能もあるにはあるがあまりにも緩やかだし動きが少ない。女性的癒し系とこれを評するなら石見神楽は男性的盛り上がり系だ。金糸銀糸の絵柄刺繍が見事に施された50キロをも超える衣装を身に付け、太鼓の軽快なばち捌きに合わせて回転を基本とする演舞を繰り広げる。ひとつの演目の中に神話の物語性を組み入れ太鼓と囃子の調子に合わせた大きな身体の動きと共に微妙な首の動き、手指の動き、足先の動き、身体の線の移行で心の動きを表す。人は顔の在り様に鏡の如くに魂が現れるが、面をつけることで鬼なり神の尊なりになりきる。神話に出てくる霊たちが舞衣に吸い寄せられて舞子の中に入り込み共に舞う。リズムに合わせて踊る伝統芸能は日本に限らずどこにでもあるが、六調子と激しい八調子で強弱をつけながら聴衆を巻き込みこれほどに深くもありエンタテイメント性に溢れたものは他にないと思う。後半になり動きが大きくなると一気に内に秘めるものを燃え上がらせ、豪華絢爛な衣装の刺繍鎧が舞いながら大きく開くと電灯の光をその光物で妖艶に反射させ霊たちの興奮を発散させる。この一帯の者に限らず見る者を大きく魅了するものがある。周囲を山々に囲まれ手付かずの自然に覆われた盆地。年に一度お社にのぼりが立ち裸電球に照らされ、大きな蝶の化身のように煌びやかな衣装が舞い踊るその場に身を置くと、何とも言えない至極の興奮が味わえる。自然物に携わる様々な妖精、氏を護る多くの神の使いや先祖、そして民百姓が一つになって宴に酔い心身を癒す。この石見神楽をなんとか残していってほしい。
2007年11月28日水曜日
手術3
バルティモアの大学病院まで4~50分は掛かる。子供を学校に送り出し店に寄って前日の締めを終え、その足で病院まで車を走らせた。昨日に比べると随分気が楽だった。抱えきれないものを抱えようとするとき、天はその器を自分の魂に用意してくれるのだと思う。病院につくとビジターのIDカードをもらい、先ず病院の礼拝室でこの場に居るであろう病院に携わる霊に挨拶をする。そして中二階の広場まで階段を駆け上がり受付で情報を得る。まだ麻酔から醒めていないようだ。後で判った事だがある程度の回復が認められるまで麻酔は継続して投入されるらしい。昨夜は走り回っていたナース達も今日は落ち着きを戻したようで、幾らか落ち着いている。ナースセンターでは談笑が漏れている。相対者のベッドの横で記録を取っていた担当ナースが、私を認めると状況を説明してくれた。日常会話さえ四苦八苦なのに専門用語が入るとどうにも理解を超えてしまう。しかし何の心配もないと言っていることだけは理解できた。一時間に十分づつの面接を繰り返し、意識を戻したのは手術後三日目の夕刻5時を回っていた。まだ身体を動かせる状態ではなかったが言葉をかけると幽かに頷く。腹を大きく裂かれたところに沿って縦長のガーゼが無造作に貼られている。腫れあがったまぶたの奥にある瞳の焦点はどこにもあってはいない。押し込まれた蛇腹のホースで押し出された舌が乾いている。微動だに出来ない状態で一生懸命応えようとするが、その僅かの作業すら相当の困難を要するようだった。見るに無残な姿ではあったが二十数年連れ添ってきて一番いとおしく思えた瞬間でもあった。この想いがずっと魂の中で生き続けることを祈った。
手術2
一瞬目を疑った。朝別れた状態とは似ても似つかぬ姿で横たわっていた。通された回復室はナースが走り回り、まさに戦場の様相となって目に写った。所狭しと並べられた医療機械。様々な電光ランプから発するビープ音。壁に張り巡らされたモニターには刻々と変わる波形が記されては消え、記されては消えている。動きのない患者たちの医療ベッドがそれらの中に埋もれ、そのひとつに組み入れられた我が相対が悲しい。自分を認めたかどうかやおら手足を動かし始める。ナースが走りより耳元で叱り付ける様に叫び続けた。(Calm down! Calm down! ) 半目の状態で彼女はおとなしくなった。顔全体が大きく膨れ、腫れ上がった目元がぴくついている。身体に張り巡らされたラインはともかく、鼻に通され固定されたチューブと口にねじ込まれた大きな蛇腹のホースが見るに堪えない。外の菌を回復室に入れないために、一時間に十分だけ面会が許されている。その日最後の面会まで計4~5回回復室のベッド訪問を重ねたが、手術のあくる日麻酔から醒めることはなかった。毛布を借りて広場で休もうとも思ったが、学校に通う子供のこともあるし不安意識の払拭が先ず必要と考えて、その夜は彼女を残して帰路に向かった。自分は彼女のまさかのときに堪えることができるだろうか、帰る道すがらその想いによる責めが延々と襲い続けた。
手術1
夕刻4時を回っていた。彼女が患者用の衣に着替え、麻酔を打たれて朦朧となりながらも手を振ろうとするのを見送ったのが朝の10時前だった。あれから優に6時間を超えようとしている。手術担当の医師は所要時間として3時間ないし4時間と告げたはずだ。不安が身に被さってくる。こんな想いに身を任すことで不安は現実に変わるぞと後ろの何かが囁き始める。姿勢を一度正し、自分を落ち着かせようと辺りに目をやった。確か十数人はいたはずだ。グラス天上からまばゆいくらいに日の光が降り注いでいた広場も、いつしか電気照明に変わっていた。今は付き添いの者は数えるほどしかいない。先程出てきたドクターに説明を受けていた親子が泣き崩れ腕を支えられている。相対者の手術の様子に対する心配がその泣き崩れる親子から目をそらせてしまった。トイレに立つ気も起こらず呪文でも掛けられた様に、ひたすら緊張して座り続けた。よく考えてもみろ。簡単な手術じゃない。臓器移植だ。時間の掛かるのも当たり前だと自分に言い聞かせて内面を持ち直そうとする。6時にもなろうとする時、やっと見覚えのある上背のあるドクターが自分の所に近づいてきた。私の隣に腰を下ろすと二の腕に手を添え笑みを浮かべた。(All done. Everythinngs are Ok.) 薄緑の手術着を羽織ったドクターの笑顔が、重くのしかかる不安をいっぺんに払拭してくれた。一気に元気の気が足から頭へと立ち昇った。感謝の言葉を唱え続けていた。
自分に対する癒し
まだもやもやしたものが完全に取り払われた訳ではないが、多くの導きと癒しを受けたことに対して感謝の思いで満ちている。導きと癒しは先ず人を介して届く。いろんな人と不器用ながら関わろうとする処に導きが訪れる。小心者で非常に傷つきやすい質の自分にとって、自分から関わろうとすることがどれ程大きな闘いであるかは神様もご存知である。人との係わりが嫌で嫌でどうしようもなく自分の中に閉じこもろうとする自分が嫌いで仕様が無かった。しかしそれこそが自分そのものと言う存在であると認めたのはそう遠い昔ではない。そうであればこそひたすら為すべき事だけを見据えて事にあたる為に、魂の底から祈る想いなくして一歩も進むことはできない。それ故その弱さが自分の強みでもある。その姿勢に神様はついていてくださる。そういう時、故郷に降り積もる雪のようにしんしんと愛が届くのを感じる。困難に出会うときその困難を装いながら、より高次の愛がそこに隠されている。この世に生まれ出でたことに対する感謝の意識が芽生えてきたのはごく最近になってからだ。それまで生まれてきたことに対しての責めをどれ程天にぶちまけたろう。私に対する非難のひとつも口にすることなしに、もくもくと働き続けてきた両親の姿が神様の背中に重なる。私の親なる天の父さまは一言も口にだすことはない。ただただその背中で私を見つめ続ける。あまりにも小さい背中で見つめ続ける。
2007年11月24日土曜日
病気に対する思考
病気になる食口は多い。どうして病気になるのか考えてみる。好きで病気になる人はいない。自分が願わないのに病気になる。しかし本当にそうだろうか。身体に無理を強いて病気になる?しかし身体を酷使するほどでもないだろうしスポーツ選手等にきわめて病気になる人が多いということでもない。病気は気を病むと書く。ストレスから病になるということだ。自分が願わない事、受けたくないものを受け続けると必ず病気になる。もうこれ以上受けられないという自分の許容量の限界を超えると魂は入ってこようとする体験を拒み始める。どこかに逃げ道を模索する。自分の魂が置かれている現状から逃げようともがくのだが、抑えられぬ欲望であったりいろんなシガラミであったり家庭や社会的立場という背負っている責任であったりで逃げるに逃げられない。唯一の逃げ道は病気になること。病気になればそういった事を捨てるかほって置いて身体の痛みに掛かりっきりにならざるを得ない。想い、感情の次元では病気などなりたくないという存在ではあっても、その奥にある深い魂のところで逃げ場として病気になることを望んでいる。それが理解できないというのは自分というひとつの霊的存在に対する無知である。この世に於ける全ての経験が自分という霊的存在を成長もさせ堕落もさせるように病気になることが悪い事とも一概に言えない。私がイメージして理解できることはこの世で病に苦しんだ人は霊界に於いては健康霊体となる、という事実だ。それはこの世で健康であった人と病に苦しんだ人とどちらが健康に対してより意識し、健康の有難さが魂に染み入るほどに理解できるかというと後者である。霊界はある意味この世と逆説的に働く。魂の中に健康に対する意識、感謝の気持ちが大きければ大きいほどそれが自分を健康霊体に創る。自分は愛されているという想いが強ければ強いほど自分の霊体から光(愛)を発し全ての霊界の事物を明るく照らし出す。病気になってもがく状態からその経験故により深い、より高い、より広くより大きい気付きが自分のなかに備わり新しい感覚で世界を見れるようになれば魂の喜びはどれほど大きいだろうか。病と縁遠い人に二通りある。魂の成長の意味を理解し全ての経験を心から感謝している人、今一人は親が死んでも気にもしないほど心情感情に於いて鈍く魂の成長の意味がわからない人。
2007年11月22日木曜日
霊的成長
どんなに優秀な人がデータを分析してそれを基にして頭をひねっても、センスと一瞬の直感に勝ることはできない。どれだけ働いたか動いたかが問題ではなく、一生懸命自己を投入することを通してセンスと直感を磨くことが重要である。それが出来ないなら時間労働の価値は遥かに薄らぐ。どちらかと言うと機械に近いかも知れない。ひとつの動きにしても機械的なものから生命は伝わらない。動きにどういう想いが詰まっているか、すしひとつ握るにしても万感込めて握ったすしは感動的な味わいがあるものだ。その違いを理解しようと努め、行動することがセンスと直感を磨くことに繋がる。自分がどういう意識で行動しているのかの認識がない。それに気付くように言葉を掛けると表情が固まる。何を言っているのか意味不明なのだろう。自分はやることをやっている、それ以上の事など全くイメージできない。イメージできないものに対してベクトルを向けることは出来ない。多くのみ言葉を学んできたにも拘らず、ひとつとして魂に届いたものが本当にあるのだろうかと疑いたくなる。勿論そう言う自分も何もわかっちゃいない。しかし方向は正しいという確信だけはある。霊界があることを否定しないながらも今生きて霊的な関わりが判らないし持てない。死んだ後に行くところだぐらいの認識しかない。どう接することが彼の為になるのか熟考しもっと関わる必要がある。怒鳴ろうが引っ叩こうが何もしないよりは遥かにましだろう。愛するとは関わりを持つことからだと思っている。霊人体がぼやけているなら幽霊とさして変わりない。肉体を纏った幽霊なのだ。自分の配下にありながらその辺のことを無視するのであれば、彼に対しても所属する組織に対しても愛を注ごうとはしていない。。心霊を動員駆使してこの目の前の経験に殉ずることが私の使命だ。それが自分の今生かされている意味だ。
2007年11月21日水曜日
God bless America
ドルの下落はもはや堰を切った感がある。落ちるとこまで落ちる。ドルが下がることが判りながらもFRBは利下げせざるを得ない。アメリカ経済(即ちアメリカ国家)と金融機関を救うためにドル下落など構ってられない、というのが本音だ。8月9日のクレジットクランチ、売り買いが一時的に停止して金融機関取引の空白状態が起きた。大量資金導入をして一時を凌いだが所詮血液の水増し状態だ。薄められれば薄められるほど数倍の資金が必要になってくる。あまりにも肥大化したアメリカ経済という体、癌は切り取ってリハビリからでも再スタートできれば、という状態はとっくに過ぎている。アメリカという体の細胞の一つ一つである市民が、子や孫の代になっても払いきれない借金をし、血眼になって住宅投資し始めたころには既に細胞の段階まで病んでいた。アメリカの国そのものがお釈迦になるという腹を括る必要がある。政府や当局はその実体を晒すことはない。大本営発表と同じで事の真相が暴かれると大混乱となる。取り付け騒ぎに端を発し開拓時代に逆戻りする。ドルは既に地に落ちている。ドル経済圏でその力を利用してきたアラブや中国もいつ背を向けるかしれない。原油が100ドルに迫ろうとしても原産国の収入は減りはしても増えることはない。恐らく5ドル6ドルといったところか。ドルが下がった分相対的に値が上がるか行き場のないマネーが投機筋として原油を弄ぶかで高沸しているだけだ。日本ですらいくらでもドルを買い支えてきたかつての状況とは違っている。束ねられたチューブとワイヤで繋がれた、身動きできない巨体をだれも世話してくれるものはいない。年間1兆ドルが外から入ってこなければ先ず持たない。今年は何とか誤魔化しても来年は目に見えて凋落ぶりが露わになってくる。この状況をしっかりと認識して、さあ自分はどうすべきなのか。ここに生活基盤があるなら、どう転んでも受け入れるだけの覚悟を先ず持つ必要がある。野宿する覚悟があれば生活は何とかなる。
2007年11月19日月曜日
思い込みに巣食う化け物
組織のあり方はそれぞれの組織で違っている。それは組織の性質とも体質とも言える。組織のあり方として決まったあり方、正しいあり方などと言うものはない。ビジネスに於ける組織も同じで、決まったビジネスのあり方正しいあり方などない。敢えて言えば我々の組織は神の願い、摂理をその存在の動機としている以上正しい組織(=天が取ることができる組織)であるとも言える。しかし我々の組織には内に巣食うふたつの妄想が存在する。ひとつは我々の外的実力、とりわけビジネスに関する実力はセンスもなく劣っているという妄想、今ひとつはビジネスと信仰は別物だとする妄想。確かにイメージとしては世間離れした時空で自己否定というお題目を強いられた孤島で信仰意識を繋いできた、と言う感覚がある。今更下野してもその知識と思考技術において大きな差を感じるのはその通りだ。だからと言って自分を卑下するのは正しくない。ひたすら神を視点の遥か向こうに置きながらも天の願いに応えようとしてきた、その数十年の内容が足を地に付けた立場(この世的現実)では無意味なものとの認識はおかしい。何事に於いても事を為すということは判断の連続を意味する。目標(個人的には願い)を手にする為の正しい判断を積み重ねていって自分のものとなる。その判断、決断をどういう根拠と背景で為しているかというところに意識を向けるべきだと思う。無神論者であってもその判断にはこうすればこうなるはずだと言うある意味信仰がそこにある。自分なりの信じるところがあって判断をしていく。私達がその判断をしていく時に、自分を主体とした自分が確信するところの判断をしているだろうか。ここが最大の弱点であり化け物がはいりやすいところだという認識を我々は悟るべきだ。判断をするときに自分主体の意識がない。そこに魂は不在で神も手を付けられないと同時にサタンにとっても何の意味もないような抜け殻状態であることに気付くべきだ。判断のひとつひとつに絶対的信仰が入れば神様と霊界の絶対的共助を得ることが出来る。宇宙が自分と共にある感覚がそこにある。知識がないなら知識が宇宙からやってくる。センスがないならセンスが宇宙から届く。その感覚すらなくて勝利された御父様の次元に届くことなどありえない。霊人体と肉体が合わさって人間としての基本形態があり、霊人体を主体として肉体との関係性でその人格が形成されるように、どういう想い(ミッション)が主体になっているかでその身体としての組織のあり方、ビジネスのあり方が決まる。ビジネスイコール利益という発想はあまりにも貧弱すぎる。しかし未だに儲け儲けという単純思考の怪物が我々の組織に跋扈する。儲けて捧げる、という二段構えだ。儲ける為に蹴落としてもというそこに崇高な霊的意識存在が入り込む隙間はない。せいぜい金貨銀貨を祭り上げる御利益信仰の類だ。解放釈放圏に入った立場でありながら未だに旧態以前の価値意識しかない。意識がそんな状態でありながらモダンなレストランだハイクウォリティーなフードだと外面だけを繕おうとする。外面も大切だがその行動にこの世の実力に遥かに劣る我々だという僻み(ひがみ)が見え隠れして嫌気がさす。そこに邪悪な霊的存在が入り込み、本当に見据えるべきものを曇らしている。
2007年11月13日火曜日
訓読会 イーストガーデン
訓読会の場で一通りみ言の訓読が終わると一人の姉妹に声をかけられた。中国系韓国人の姉妹だ。促されて前に出るといろんな質問に対して言葉少なに応えていた。自分の証しをするようにと言われ最初はたどたどしく声も小さく始めたものの、しかし数分と経たずに本領発揮だ。話すわ話すわ白いスーツに包まれた小柄な身体からとは思えないほどの声量と、自分についての話であったとしてもその溢れんばかりの話題で二時間弱しゃべくりまくった。それもTFが隣におられてマジマジと見つめられながらと言うプレッシャーの中でのこの度胸だ。先ず話の内容がどうのと言う前に彼女のこの在り様に自分とは違う次元にいる生物を見る思いがした。完全に脱帽だ。日本の兄弟でこれほどの度胸を持ったものはそういないだろう。とうとうと話を進めるその姉妹を見つめられるTFの眼差しが印象的だった。時に笑みを浮かべ時に笑い時に頷かれながら我が娘を見るように視線を送り続けられるその姿がその日一日脳裏に焼きつきその映像が延々と繰り返された。その日日本からも数十名参加していたし韓国からも更に数十名参加していた。多くの兄弟姉妹がその場を共有しながら皆何を想うたのだろう。彼女の証しそのものに感銘を受けたものもいるだろうし学んだものもいるだろう。うらやましくも幾分寂しさも感じたのは自分だけだろうか。最後にお決まりの一曲ということでTFに促され、テレサテンが中国語でよく歌っていた一曲で見事に決めた。
2007年11月12日月曜日
訓読会
訓読会に参加する。アメリカツアーを控えTPはEGに常駐しておられる。どういう配慮があって今回のツアーを決定されたのだろうか。2008年からはいよいよ本格的な世界的宇宙的混乱が予想される。2007年迄がひとつの区切りでどういう条件を2007年を境に立てることが出来たかで翌年以降の動向が決定される。とりわけアメリカの摂理的位置は最も大きなものである。アメリカの内容如何で歴史が決定されると言っても過言ではない。アメリカの通貨ドルは世界の機軸通貨である。アメリカの経済破綻が世界にもたらすものがどれほど大きいか少し考えればわかる。政治もまたしかり。ホワイトハウスの決定が世界を決める。それ故にTPはその人生30年以上をアメリカに費やしてこられた。韓国に帰られてからも何度かアメリカでツアーをされている。そして2007年も暮れようとする今、再度路程を立てられる。そこには我々が計り知れない大きな意味がある。歴史的天宙的な意味がある。その重さを垣間見触れることでTPと私の僅かな接点が作られる。自分は歴史を代表した位置にあり、アメリカを代表しアメリカで歩む兄弟を代表し、事業に足を入れた者としてアメリカの経済担当を代表した位置でもある。先祖を代表した位置でもありアメリカで多くの功労を立てた政財界の代表位置でもある。自分がそういう意識をどれだけ持つかでそういった霊人のTPへの門と為り得る。自分が自分として参加する以上に自分がそういう位置で参加することが時間空間を超え霊的な次元に自分を立たせることだ。利己的人間的意識を超えない限りTPとの接点はもてない。
2007年11月6日火曜日
故郷にて
一年ぶりのホームランドである。生まれ育った地は自分にとっていろんな感情、想い、忘れかけた過去を彷彿させる。昔日の日々が決して楽しいもの心地よいものではなかった。思い出したくない感情のほうが多い。しかしそんな様々な経験が今の自分を創っている。それを避けることは自分から逃げることだ。触れたくないと構えていた対峙するものに歩み寄り心を開くことで始めて自分と自分に関与する霊的な存在の清めが始まる。避けたい意識をなだめすかし和らげながら少しずつ少しずつ距離を狭めていく。自分の内にある凝り固まったものを融解させながら、それに応じて外的な事象も表情を変えていく。外的現実をのみどうこうしたいと思うても無理が生じる。全ての外的な内容は内的表れである。自分を取り巻く現実そのものが自分自身だというそこに気づかない限り本質的変革はありえない。日本の風はやわらかい。吸う空気にもほのかな甘さのあるのを気づくだろうか。それは日本人の体質そのもの。性格にしろ何にしろやわらかさの良い面もあるが曖昧と捉えることも出来る。他の民族が日本人に触れてその優しさを強調する人もあれば、はっきりしない何を考えているか分からない曖昧さを強調する人もある。やわらかさ、曖昧さを装った上っ面の下に巣食う自堕落なものをはっきりと指摘する必要がある。日本の性風俗はやわらかさの典型的な表れだ。善悪の住み分けを曖昧にしてやわらかさ優しさを極めればそこにいくしかない。内の組織にも見られる日本的組織のあり方はお上は絶対という意識を働かせる。それは曖昧な日本人をひとつにするための方便だ。首を傾げるようなご託宣も敢えて反発しようとはしない。他民族をいれたり日本人でも若い者をいれようとするとこういう組織のありかたは全く通用しない。どのような組織のあり方、何人かがひとつになろうとする時どのような関わり合いが理想に近いのだろうか。こうあるべきものと言うものは恐らくない。夢を形にし想いを遂げていくように我々が作りあげていく、創造していくものなのだろう。その過程が楽しく喜びなのだろう。
2007年10月26日金曜日
マネージメント
店を経営していく上に於いて四つのテーマがある。経営課題として雇用、資金、立地、教育と大きく分けられる。雇用はオペレーションに直結し、資金は展開、立地は売り上げ、教育はマネージメントにそれぞれ直結する課題である。今ある既存の店でどんなに奮闘しても売り上げはある程度決められている。売り上げの二倍化という号令が出てそれを本当に実現したいのであればそれなりの立地に店をつくるしかない。それはそうだがと言いながら今ある店をいじくろうとするのは責任あるものの覚悟が無いだけの話だ。経営に於いて何を優先順位にすべきかというと教育である。この課題は直ぐに結果が出るものではないので後回しにされがちだが将来を見据えた経営を思考する経営者なら最も力を注ぐ課題である。経営者自身がどれほど自分の店に責任を感じ、思い入れがあり、アイデアを出したとしてもそこには限界がある。自分を超えることは無い。しかしそういった内容をどれだけ従業員に伝えるか波及させるかで店や組織の力は大きく様変わりする。経営者の店でしかなかったものが経営者以上の店となりそれ自身が大きくなる力を持つ生きた存在となる。子供が大きくなって自分を超え逆に子に教えを請う立場になる親と同じだ。店は儲けるところではなく人を育てるところという理念がすっと入るとその想いでひとつひとつの動きを見直していく。そうしながら従業員の中に機械モードから創造モードへと少しずつ培われていく。作業要員としてではなく成長を願われている一己の人格として見なされていると自覚するからだ。中々いい従業員が入ってこないとぶつぶつ言う前に今ある従業員にどういう思いで接しているかを見直す必要がある。ひとつひとつの人格として接し感謝し敬う想いがあるか。どれだけ店や周りの人々にお役に立っているかを伝えたことがあるか。最高の人材は今いる従業員のなかにいる。
雑談 盛岡近郊での話
何か寄せ付けようとしないこの感覚は何だろう。盛岡から程近い国道沿いに、古い農家の屋敷が並んでいる。手にした番地を確認しながらその家に辿り着いた時そう思った。御影石の立派な門柱には不釣合いな雑草だらけの庭があり、その奥に寄棟風造りの立派な家がたっていた。それまで寝起きする場所を転々としてきたが、今までの趣とは明らかに違う住居だった。最初の印象はそれとして、忙しい生活に没するとさして目新しいこともなく毎日は過ぎていった。何となく湿っぽい風な感じはしていたが、不便もないし住めば都、それなりに快適だった。ただひとつ気になることはあった。金縛りによく逢う。それまでも時々自分の身に起こってはいたが頻度が多すぎる。それほど深くも考えなかったがそういった朝は疲れが結構身に残った。二階造りになっていて、上の階は女性が使っていた為に間取りは分からないが、下は七つはあったと思う。玄関を入ると真っ直ぐ廊下が伸び、突き当たりを右に曲がると小部屋が二間ある。手前は納戸として使われその隣は仏間だった。仏間とわかったのは後の事で私が入った頃はまだしっかりと錠が掛けられ開かずの間となっていた。何か訳ありのようだが気にも留めなかった。月末になると集金の為に皆は地方の支店に分かれる。自分の担当は市内とこの辺りだったのでひとりでこの家に居残ることになる。そうなると金縛りに逢う頻度は高くなる。ある時、展示会が催される為に商品搬入の人達が仙台からやってきた。住所を頼りに来たがなかなか見つからなかったらしく交番に尋ねたらしい。家について一服したところで、実は、、、と彼らのひとりが切り出した。交番で住所を見せるとその地域の地図と照らし合わせながらさも意味ありげに、「あーここかー。あの事件のあったところか。」と返ってきたらしかった。何の事件かと聞くとあまり触れたくないようで殺傷事としか言わなかったようだ。そこまで知らされて調べない訳にはいかないだろう。どこにでもこういった事に鼻を突っ込む者のひとりやふたりはいる。詳細が暴かれ皆が知る所となるのに時間は掛からなかった。どこにでもありそうな情のもつれからくる殺人事件らしかった。主人に先立たれた女性が雇っていた使用人?と関係があったか何かで、その使用人に仏間で刺されたらしい。逃れようと身体を引きずりながら廊下を這い、玄関のところまで出て息絶えてしまったようだ。後に仏間が開放され責任者が一生懸命お祈りし、聖塩を山ほど撒いて御祓いしたようだが、カビがいった畳にはどす黒い血痕の跡がしっかりついていた。しかしこの家の過去があからさまになってから金縛りはピタッと止まった。晴らせぬ想いを知ってもらいたかったのだろう。それでも月末にひとりになると気味悪い日を送らなければならなくなった。
2007年10月25日木曜日
レイカン商法
こっくりさんを知っているだろうか。一枚の紙にひらがなを書き並べたり数字を書き並べたりしておいて、中央に10円玉を置く。普通3人だが周りを囲んで人差し指を10円玉の上に軽く置く。神妙な気持ちでコックリさんに登場をお願いして問いたい内容を丁寧に尋ねると10円玉が勝手に動き始め答えの文字を順に追っていく。ひとつの交霊術だ。小中学校で流行り、忘れた頃にまた流行っていた。時々おかしくなる子もいたりして中止令が出たこともある。霊的な存在からの情報を得るという手法は現在の我々に於いても十分使えると思っている。こんなおどろおどろしいやり方ではなく、内的アンテナをしっかり立て霊的感性を開いていくと様々な知恵やインスピレーションが与えられる。毎日の営業を終え従業員が三々五々帰ったのちキャッシャーの閉めをして一息ついて、そして自分流の交流会が時々開かれる。ただ単に祈りの形で神様と交流したり、先祖をお迎えして歌ってみたり、すしを用意して食べて戴いたりと形は様々だがいろんなことをやって見ると面白い。たまには霊界にいる歴史上の大物人物を招いて討論したり質問会を開いたりすることもある。危ない存在だと思われるかも知れないが、私はその場でいろんな知恵を戴いたり悩みがあっても内的に悟らされたりと多くの気付きを与えられた。十数年前隣にチキン屋が出来た。その頃は寿司よりチキン照りの方が売上げは良かったので隣の店には結構食われそうな恐れがあった。案の定、開店早々から影響があった。特にランチ客を食われた。何とかならないでしょうかとその地の霊にお願いするとひとつ閃いた。エリコ城の陥落である。直ぐその場でチキン屋の周りを願を掛けながら七回回った。これで勝ったという実感があった。ランチへの影響は暫く続いたが、不安や心配は私から消えた。その店は半年ほどもって閉鎖した。今考えると決して褒められるようなことではない。お互いが持ちつ持たれつの関係にあったほうが良かったと今は思う。しかし私の切実な念に仕方なく答えてくれたのだと思う。これはあまりにも低級な例ではあるが高い次元での霊界とのやり取りは在ってもいいと思う。前にも書いたがそういった意味での霊感商法を我々は取り入れるべきだ。TPの儀式内容を観察すると仏教界の代表やユダヤ教界の代表としてその場にいる責任者を使命されたり神様の座られる椅子を用意されたりされる。その代表には霊界にいる本当の代表がその人と共にあり、神様が事実その場におられることを理解しないといけない。儀式的ご都合上のことではない。そういった霊的内容に意識を持つようになると店の存在に対しての見方も変わってくるし、それぞれの客の雰囲気や行動に対する見方も変わるし、従業員への対し方も変わってくる。店に漂う空気の流れすらも意味を持ってくる。しかし本部に対する見方だけは様子が違う。霊的にもいろんな力関係があるようでより複雑さを帯びている。その辺のところは見えないし見たくない。お写真をどの家庭でも戴いていると思うがそれは写真ではなくフレームを通して御父母様が我が家庭の生活を事実見ておられる、という気付きを得ているだろうか。それを唯の写真と捉えるのは大きな間違いだ。
2007年10月24日水曜日
事故
季節は覚えていない。上着を着ていた覚えはないから初秋の入り頃のように思う。その日秋田の展示会の動員を手伝っての帰りで夜半過ぎ盛岡まで車を走らせていた。対向車も数えるほどしかない。途中から雨が降り始めたが運転を遮るほどでもなく車の足回りは軽快で楽しかった。直線道路がしばらく続きハイビームで照らされた先には何の障害物もない。霧雨に吸い込まれるように加速していった。慎重な性格ではあるが免許を取って一年近く経ち、驕りが出始めていたのだろう。制限50キロを優に超え80キロ辺りを針は振れていた。スピードという快感に浸っていた。と急に左カーブが現れる。あまりにも唐突だった。ヒヤッとした危機回帰の意識がブレーキにかけた右足を極度に突っ張らせる。減速するはずが車は期待を無残に裏切り滑る様に走っていった。ハンドルを一気に切る。尻だけが右に大きく振れ反対車線に突っ込む。急ぎ左に切り返す。今度は左に大きく振った。右足はその間突っ張ったままだ。こうなるとハンドルもブレーキもしがみつくだけのものでしかなかった。車の鼻先がガードレールのない道路をはみ出したとき、若干首を落とし身構えた。時間的余裕が全く無い状況で怖いという感情は出てこなかった。こういう時、身に起こりうるどんな状況も受け入れることを覚悟させられる。車が道路を飛び出し相当の落差を転がり落ちていく。ヘッドライトに照らしだされる断片的な景色を視界から遮断するように、ハンドルを握り締める手の一点を凝視し続ける。身体の浮いていた感覚がしばらく続いた後、激しいズンという衝撃を腹に覚えた。動きは止まった。腹側を無残に晒した車から蒸気でも吹いているような音がしばらく続いていたが次第に止んでいった。ダッシュボードが勝手に開いて中から紐のついたお守りのようなものが転げ落ちた。ガソリンに引火して爆発しかねないという不安がよぎる。そのお守りを手にすると開かないドアのウィンドウをかろうじて下ろし、体に無理を強いて外に這い出た。雑草に覆われた下のほうに小川が流れているらしく、せせらぎの音が聞こえている。静けさが自分を包んでいた。ひょっとしたら霊界なんだろうかと訝るほどに一瞬前の状況とは正反対で、自分の身体を撫で回しながら生きていることを確認した。急におかしさが込み上げてきた。車は全形を全く止めず潰れているのに自分はかすり傷ひとつ負っていない。暫くそこに腰掛け静寂のなかで広がる平安に身を委ねた。暫くして我に返ると、とにかくこの崖を登って上がる必要があることに気付いた。やおら腰を上げ、雑草を鷲掴みにしながらやっとの思いで道路上まで這い上がった。息を急かしながら外灯が届かない崖下に目をやってみる。改めて起こったことの重大さを認識して言葉を失った。遠くの方に電話ボックスを認めると小走りに近づいていった。受話器を手にしたものの呼び出しを躊躇してしまい、どう切り出したらいいのか悩んだ。思案に暮れていると左ポケットの中で何か手に触れるものを認めた。取り出してみると脱出する前に掴み出した布包みだ。紐を緩め中の物を確認すると、小さい石ころが入っていた。それがある姉妹が持っていた涙石であることにピンときた。秋田に行く折彼女を乗せたが車の中に忘れたに違いない。そうか、自分はそれに救われたらしい。自分の中でうやむやな想いが吹っ切れた。改めて受話器を取り直し、はっきりとした口調で責任者に連絡し、地元の警察署へも連絡した。守られていたことの気付きを与えられ、事故の流れを思い起こしてみると、確かに転がり落ちる間、真綿でくるまれている様な感覚もあったし更に不思議なのは映画のスローモーションの一シーンであるかのような時間の流れがそこにあったということ。東北は霊界に近い。強い自然霊を特に感じる様な気がする。雑霊悪霊の類も経験したが、霊的なものに助けて頂いた実感はこのときが始めてだ。
本質的比較
二十数年間レストランに携わりながら、アメリカに於ける寿司関係の店は爆発的に増えてきた。しかし我々の店は減ることはあっても増えることは無かった。無闇に上や下に対して憤慨したり悔いたりする前にどうしてそうなったのか霊的感性も動員して考えてみる必要がある。我々の店と外の店の根本的違いは何か。違いははっきりしている。出発点の違いである。外の店は自分の願いが出発点であるのに対して、我々は天の願いが出発点である。天の願いであればより次元の高い動機ではあるが、しかし悲しいかな天の願いに対しての納得が自分の中に無い。大切であるというおぼろげな認識はあるがあまりにも捕らえどころの無い感覚なのだ。信仰という紙を一枚一枚重ねる程に少しずつ神様に対する認識を得ようとしてきたが突きつけられる現実の前には霧同然のような感覚なのだ。従って天の願いが出発点ではあるがその認識がないため、ただ単に出発点が自分の願いではない、というに留まっている。普通人間は自分というものに固執する。自分を守り自分の願いや夢のために人生を駆け巡る。自分の願いであるから持てるエネルギーの総てを投入する。自分の店、即ち自分そのものであるからその中に発想や知恵、思い入れ、責任意識という三様のエネルギーを最大限投入する。要するに自分の知情意を与えつくす。より与えた者がより受ける者である。原理はそうである。比較してみれば我々には上からの指示を受け止めることでアップアップの状態だから発想や知恵は貧しく、いつどこに飛ばされるかも知れないからその地やその店に対する思い入れも無く、責任を取るという意味すら解っていない。そういった内容を一まとめにすれば信仰が無いという言葉で片付けられる。その違いを踏まえて何が我々に必要なのか。ここに大きく分けて二つの選択が用意されている。ひとつは出発点を自分の願いに軌道修正する。ようするに今ある店にしろこれから開ける店にしろ自分のものなのだという認識に転向させる。もちろん店も儲けも先ず自分の所有である。そこからそれぞれの良心基準、信仰基準に合わせた形でドーネーションする。そして今ひとつの選択は天の願い、み旨が何であるかを個人に於いて組織に於いて徹底して教育する。魂の中からみ旨を最優先させたいという所まで陥れる。責任者としては後者を取ると思う。日本に於ける犠牲精神を例に徹底して押し付けにかかる。おそらくその選択をせざるを得ないだろうし鬼になることがみ旨と認識して発破をかける。しかしこれ程の分別に耐える者がいるとは思えない。ビジネスビジネスと口を酸っぱくして言うがそれを突き詰めると最初の選択にならざるを得ない。この矛盾に気がついたものがいない。しかし私は今ひとつの選択が出てくることを期待している。即ち自分の願い=天の願いという次元が現れ見えてくる。自分はこれを妄想とは思っていない。遠からずその時がくることを霊的に確信している。だから自分は今を耐えることができる。今できることを精一杯やりたいしそれが本当の喜びだという実感が涌こうとしている。
2007年9月26日水曜日
神の基地
今まで御父様が手を付けてこられた多くのプロパティーが全国全世界にある。その場でなんらかのビジネスをなしても赤字であったり、はなからビジネスなど考えられず、税金だけが年毎に加算される場合もある。既存のビジネスがどれ程キャッシュを創出しても赤字と税金の穴埋め、それもザル受けの状態だから、先任の責任者は御父様に会う度にお願いを申し上げて処分しようとされた。しかし首を縦に振られることは先ず無い。頑ななまでに一度手にした土地なり物件は死守される。御父様の中では金に換えることが出来ない価値をそこに認めておられると言うことになる。この観点から見てもお父様の捉えられる金や不動産の意味と、我々のそれとでは大きなギャップが存在する。人類が辿ってきた歴史は神の復帰の歴史である。それは神側サタン側、両者の奪い合いの歴史だと言うことも出来る。永い永い気の遠くなるような歴史を経て、真の父母を地上にもたらせる条件が整い、真の父母の息遣いを感じながらの今のこの時である。身体を持たれた神の立場で手を付けられたものは、サタン側から神側に奪ったもの、復帰されたものとして歴史に残る勝利記憶として残される。一度神側に手に入れたものをこの世的感覚でサタン側に譲り渡したとなると、それは金銭的価値を遥かに超える犠牲があとに残されることになるのだろう。そのひとつひとつのプロパティーは死亡圏から救い出された神様が臨在できる場に違いない。霊的に視るなら七色に光り輝く場がそこにある。御父様に近づくべくそこまで想像の域を高めていくと、今我々のビジネスの拠点やレストランひとつひとつの重みが少しはわかってくる。確かに直接に指示されたものではないにしろその都度報告はいくだろうし、ましてや我々の名で祈る時代であれば報告祈祷に於いて既に認知されてもいる。今回、経営状態がうまくいかないひとつのレストランの処分に関与しながら、そこに自分の想いを超えた寂しくも苦しい情を覚えた。ビジネスであってビジネスで割り切れない内容がそこにある。明らかに今の自分の行っていることは願いとは逆行しているという想いだ。将来的発展を担保にすることを通してこそ許されるだろうし、それは私達の後孫に降りかかってくるものと捉えるべきなのかも知れない。
2007年9月23日日曜日
説明できない想い
恐らく本当の意味で私達は目覚めていない。自分自身が当然と思っている事柄全てを先ず疑ってかかる必要があるだろう。間違っている認識を固定して、その上にどんなにまともそうな論理を組み立てようとも空論の域から出ることは無い。いい加減過去から学習する必要がある。どんなに立派そうな企画を立てようが、どれ程高尚な目標を掲げようが、それに対する行動と結果が伴ったことが一度でもあるだろうか。ある面空虚な夢をまことしやかに奉ることが目的で、その後の事はどうだって良かったのだとすら思わせる。御父様の願いと我々の願いは本当に同じ方向に向いているのだろうか。我々が思うビジネスと御父様が思うビジネスは同じものだろうか。我々が扱う金に対する認識と御父様の金に対する認識は同じなのだろうか。その認識が違えば扱い方も当然違ったものになるはずだ。御父様の願いと同じ願いを我々が共有していたなら、少なくともこんな情けない現状はありえないと思う。疲れている兄弟があまりにも多すぎる。個人的にも公的な立場に於いても上を向いて成長する事を投げ出している。仕事上の事を言っているのではなくて、御父様に近づきたい、為に生きる事に喜びを感じる生でありたい、真の愛の相続者でありたい、人間本性としての成長であり魂の成長に対する願いを捨て去っている。その一人一人の兄弟の責任だと本人も皆も思っているのかも知れないが、しかし本当にそうなのか周りの兄弟の責任は無いのか組織や責任者の責任はないのか。今の状態にほって置く事が天の願いなのか。自分の責任であり全体の責任だと思いやる気持ちは無いのか。もしそうであるならここに神様はいないと言うことになる。どんな立派な、御父様が喜ばれそうな企画と目標を提出しても、それを形にする所の、本心から感謝し喜び一つになり決意する兄弟がいないのにそれが本当に現実的なものになり得ると責任者は思っているのだろうか。私には理解できない。私が担当している店はコストが低いのか利益がそれなりに出ているのかそのテクニックを聞き出そうとする。先ず店に魂を入れるべきだとか従業員には与えることが喜びであることを気付かせてあげる必要があるだとか私自身は数への表れはここが基であると本気で言おうとしているのに、何が一番売れているだとか従業員の給料が高いか低いかとか表面的なことにしか関心を示そうとない。最初からそんなテクニックなどないしそれを見つける意味もない。儲けようと思ったことなどない。御父様の為にという想いで献金をと言う思いはあっても、客に高いものを売りつけ従業員を安い給料で使って儲けようと思ったことは一度も無い。結果として今の数字はこうなっているというだけなのだが、それでは納得しないようだ。勿論先のことは分からないし来月は赤字かも知れない。しかし自分はそういう時期があってもいいと思う。今日店を開き、為に生きる喜びを味わい、店に来て御父様からくるその愛の流れを少しでも受ける客がいれば自分はみ旨をやっているという自覚がある。それはビジネス的思考ではないと誰かが言うが、そんなのはどうだっていい。それがビジネスでないのなら私はビジネスをやりたいのではない。私はみ旨をやりたい。
2007年9月12日水曜日
レストラン業務姿勢
何年歩もうがレストラン経営は泣き笑いだ。営業中に停電になる。従業員がまとめて辞める。誰かが金をくすめる。めかし込んでる客に醤油をかける。髪の毛が入っていたと言いがかりを付けられる。客が転ぶ。食べ物を喉につかえさせる。毎日毎日何が起こるか分からない。目の前に起こった問題に身体が自然と反応して対処し始めることで次のステップに繋がる。変化に富んだ毎日を否応無く突きつけられるのがレストラン経営でありシステムやマニュアルで事足りる業種ではない。意思が要求され能動的姿勢が要求される。毎日数十人数百人という客に揉まれていると人間強くなる。霊的内的なものが鍛えられる。客の数だけ接し方、問題が起こったときの対処の仕方、喜ばし方は違う。そこにテクニックやマニュアルは通じない。謙虚な想いと感謝の想いがどれだけ自分に備わったかで相手への対し方が見えてくる。問題から逃げるのではなく問題の中に自分から入って行こうとする姿勢が自分の自然体となることによって業務を続けられる。
2007年8月25日土曜日
五感を超える感性
日常の生活を事情環境に身を任せる歩みをしているとたいした発見はない。しかし内的なものを中心とする、即ち内なる世界を主体として歩むと様々な気付きや感動がある。五感で受け取った情報を内的感性に照らす。その情報を通してどういう感情が内面に育つかが五感を超える別次元の新たな感覚となっていく。内面に育つ感覚は最初のうちは泡のような数秒を置いて消えてしまう感覚だが、瞑想するほどにその内面の感覚に集中していくと段々とその感覚が自分の新たな感覚として魂に備わる。その感覚が育つ土壌として感謝と謙遜を思考において訓練し自分の中心的性相として感謝と謙遜が備わるときその感性は自分のものとなっていく。第六感を身に着けたいと思ってその感性が開くのではなく神の前に人の前に自然の前に謙遜であり感謝の情に満たされたい、という想いから開けてくる。今従業員を探していて昔働いてくれた在る従業員に想いが行った。何日か彼の事を考えていたところ、今いる従業員Fが先日彼に偶然会ったと言う。彼がFに話した内容がおもしろい。彼に会うなり実は私が夢に出てきて必要ならまたお世話になりますと私に挨拶している夢だった、と彼に話した。それを聞いて想いが通じたと思った。というより自分の内面に現れた世界こそ主体的現実でありそれにこの世が合わせる形で必然として対照的現世に現れた。この説明で少し理解できるかもしれない。数日前にしばらく来ていない二人の客のことに想いがいったが、その日、その二人の客が店に顔を出した。私の顔に笑顔を見せながら呼んでくれてありがとうという目をしていた。
アメリカ経済が崩壊する日 (2)
金融機関、証券会社、ファンドが住宅ローン担保証券(MBS)に飛びついたのはその利回りにある。なかでもサブプライムローン担保で作られた合成証券の利回りは更に高い利回りがついている。どんなにローンが高すぎて延滞が増し流れる物件が出たとしても取り上げて売ってしまえば利幅はしっかりでる。前にも記したように住宅購入者はその不動産価値があがっていくものという信仰が前提で投資する。したがって身の程を超えた価格が付けられた物件でも払いきれない借金(ローン)を抱えて購入する。サブプライムは最初の三年位は低金利に抑えられている。プライムローンで高い金利を払わずにとりあえず自分の持ち物となり月々の支払いも少ない。どうせ上がるのだからという思いがある。しかし悲しいかな不動産神話は崩れる。2005年の最高値を境に上げ率が低下し更に横ばいとなりそして下がり始める。店を経営してみて解かるのは売上げが上がっているうちは全てがうまくいく、ように感じる。全てがうまくいっているのではなく売上げ上昇がマイナスポイントをカバーしてくれるのだ。しかし右肩下がりに転じたとたんカバーされていたマイナス面が一気に吹き出る。売上げが上がっているうちに締めるところを締めておかないと人件費も経費も膨らみすぎて下がり始めたとき潰すしかない状態となってしまう。国家経済、世界経済もその通りで膨らんでいるうちは(資産価値が上がっているうちは)どんな投資をしようがハイリスクハイリターンの証券を買おうが全ては吸収される。しかし一旦提示された住宅価格に不信感を覚えはじめMBS(住宅ローン担保証券)に危機感を感じ始める全体の認識が七割を超えてくると一気に下り始める。8.09ショックはその臨界点に達したと言っていい。アメリカの住宅ローン残高は10兆ドル。そのうち証券化されたもの(MBS)は7兆ドル。8.09を境にその証券に手を出そうとするものはいない。半値落ちの証券になってもとにかく処分したいと躍起になっている。欧、米、日の中央銀行が0.3兆ドルの証券買取(買いオペ)をして緊急資金供給を行う。焦げ付き不安のあるサブプライムは1.4兆ドルなのでこの調整で十分だとFRBは見解をしているが、アメリカ経済の崩壊が見え始めたのはあの日(8.09)だったと言う時が必ず来る。自分はそう予言する。
アメリカ経済が崩壊する日
8.09ショックから一変して信用収縮(クレジットクランチ)に入った。信用恐慌とまでは行かないまでも今回のクランチはロシア国債の返済不能で破綻したLTCMショック(1998年?)よりはるかに大きい。中央銀行(欧、日、米FRB)の買いオペ(資金投入)、そして利下げで緊急措置を行った為、株も買い戻され如何にも落ち着いてきたように見受けられるが臭いものにとりあえず蓋をした、と言うところだろう。中央銀行が調整できる許容量を遥かに超えた資金運用量が資産、負債をバブル化させている。事の発端はバブルが弾けた日本国の苦肉策、ゼロ金利と量的暖和の長期化にある。物価変動率自体が毎年4%5%上がっていると言うのにゼロ金利と言う意味は借りさえすれば誰でも儲かると言うことだ。資金量が多ければ多いほど利ザヤは大きいのでその旨みに預かろうとファンドなるものが台頭してきた。債権、株、通貨、資源等分散投資(ポートフォリオ)で運用しているのだがこの運用量が半端じゃない。集めたファンド(基金)であるものに投資する、例えば資金を債権に代えたとする。手元にあるその債権を担保に借り入れし更に債権を手元にする。その又借りした債権を担保に借り入れし更に更に債権を手に入れる。これを繰り返すと元本の10倍以上を借りて運用することになる。これをレバレッジをかけると言うが要するにてこの原理を無理やり資金運用に取り入れている。このファンドなるものが2000年には元本5000億ドルだったが今では2兆ドルまで膨れ上がった。これを運用しているということはレバレッジをかけて20兆ドルが投機的に運用されていると言うことだ。日本ではゼロ金利が続いたので円キャリーで投資すると金利の差額で10%を越す利回りが続いていた。しかし引き締め策が始まるととたんに苦しくなってくる。レバレッジをかけているので例え1%の金利上昇でもレバレッジをかけられて身にこたえる。利回りは下げ始め今年の7月のある週はマイナスの利回りともなった。これに輪をかけたのがサブプライムローン証券の問題だ。
2007年8月24日金曜日
御父様との繋がり
今年の夏もNORTHGARDENの地に来られる。数年前一度だけ修練会の食事担当で行ったことがあるが、間近でご様子に触れられるのは恐らく他に機会をみることは出来ない。その一度だけでありながらも発たれる最後の一同を会しての記念撮影を図らずも逃してしまった。担当の兄弟に言いくるめられ、荷物を運ぶ役を仰せつかったからだ。今の今まで何十回と食事を担当させて戴く光栄に預かりながら一度としてまともな一枚の写真の中に御父母様と自分という構図はない。しかし全く無いというわけでもない。一枚はお食事の後ご挨拶させていただいた折ひとりの姉妹が取ってくれたものだが、悲しいかなぼやけている。今一枚は食事担当でNORTHGARDENに行った折お供え物を自由に取っていくようにと話され、兄弟達が次々と取っていく様子を側で見ておられるのを、これ幸いにひとりの兄弟に頼んで一緒の構図が取れるようになるべく御父様の近くにあるお供え物に手をかけたところを取ってもらった。しかしこの一枚も激しくぶれている。というわけで自分の信仰を表したような写りの二枚が大切な宝物のひとつである。その修練会では夕食の後、先輩諸先生の証し会が持たれたが、中でもひとりの先生の証しは強く印象に残っている。ダンベリー収容時で共に過された証しをされたのだが、その話の中でレストラン業務と非常に関わりのある話をされた。レストランと御父様とどういう関係があるのだろうと疑問に思っている兄弟に、是非この話を伝えたい。収監所の中で食事担当を与えられて準備する、ようするにテーブルセッティングの係りなのだがその時御父様がその先生に指示され行ったことはナプキンにしろフォークスプーンにしろ、そしてペパーやソールトの小瓶の類まで、全て等間隔にそしてテーブルの手前の端からのナプキンの位置まですべて物差しで測ったごとくに几帳面で、見た目に美しく並べられることを徹底されたと言う話だ。心に響く多くのエピソードの中で、この触りは普通の兄弟にしてみればサッとやり過ごす話なのかもしれない。しかしレストラン業に携わりながらだと、この様子が心に浮かんで来て心が締め付けられる思いがする。御父様自身がセッティングをされながら、そのどうでもいいように思われるこだわりを持たれて精誠をつくされる、そこに言葉では言いようの無い、為に生きそして尽くすことの純真さが表されていると思った。オープン前の準備中、私は時間が許す限りテーブルセッティングに投入する。全ての椅子の位置が測ったように真っ直ぐ置かれ、ナプキンと箸の位置も各テーブル寸部を狂わず決められ、昨日の客の宴を徹底して払拭して今日のお客様の受け入れ環境に余念が無い。ある時は御父様に想いをはせながら、ある時は自分が御父様のその時の体験そのものを味わいながら、他のどの責任者もこの現場に身をおかずとも、御父様が率先して汗を流されたことがこの上なく有難く、素直に嬉しい。しかし前もってセッティングしていたサーバーが私の行動を見て、いつもいぶかしい顔をしている。
2007年8月23日木曜日
血統
真の父母はまさしく現人神様である。御父様は血統と言う言葉を常に口にされる。要するに血の繋がりを重要視される。血液というと生理的外的表現となるが、血統,血筋という表現は血の霊的印象から表現されたものだ。植物には緑の樹液が葉や根の隅々まで満たされ巡っているように、人間には赤い血液が全ての細胞の一つ一つに供給され巡っている。大量の血液が人間に形作られたなかで逐次巡りまわり、昔学校の理科室に置いてあった模型をみるように、その血液そのものが動き回り、歩いていると言っていい。目視する印象にとらわれたままで見ているその人の本質に触れることはできない。感覚的印象を超え、その中に流れている血の在り様、霊的印象を感じることができて、対する人物が何者かを知ることが出来るようになる。仕事柄刃物を手にする日々が長かったので自ずと傷つけてしまうことは多かった。忙しい時に切ったりすると痛い思いだけであるが、余裕があったりすると血の出る様を見ながら自分の中に赤い血が流れていることを妙に実感する。生きていることを実感する。自分のこの血の在り様と魂とは直結している。血の凍るような、、と言うような表現は魂と直結しているから出てくる言葉だ。内的外的に経験した全てが、この私の血の在り様に反映されている。さらに血統を遡る内的外的に経験した全ても、この私の血の在り様に反映されている。だからこの血の在り様を変える事でしか自分を浄化することはできないし、血統を遡る罪を清算することもできない。身体を動かすことに携わっている筋肉を霊的に見るなら、まさしく筋肉の細胞一つ一つに過去にこの世に生を受けた霊がびっしりとついているらしい。付いていると言うより形作っている細胞そのものだと言うことだから取り除こうとすれば肉を削ぐしかない。自分の血の在り様に相対することのできる霊で自分の骨や肉は形作られている。自分の血の在り様を根本的に代える、それが血統を転換するということだろう。だから血統転換の意味は真の父母の骨の髄まで入っていって、そこを自分の血の生成場とするということになる。それが具体的には祝福を戴いて重生し、絶対信仰絶対愛絶対服従で完全に帰依することを通してと言うことになるのだろうか。真の父母の意味や価値を100%知り得る者はいないかも知れない。真の父母を通して血統転換ができると言うことの意味や価値も100%知り得る者はいない。私達は信じている、侍っていると簡単に言うけれど、それは自分が思うところの信仰であり侍る生活にすぎないかも知れない。おそらく自分は何も分かっていないというところから出発しないと、真の父母の骨髄に入るどころか何の関係ありやと顔を背けられ、自分で勝手に思うところの自分の神、即ち偶像を拝むことになるかも知れない。
2007年7月24日火曜日
ホームランド (3)
私も相対も広島の出身だ。もう十年近く前だったと思うが田舎の両親に往復チケット二枚送り、こちらに尋ねて来るように伝えた。それまで一度もアメリカに来たことはないし、息子夫婦と孫がどんな生活ぶりなのか知ってもらいたいこともあったが、それより広島出身の私の親を呼ぶことの意味は他にあった。ワシントンにはスミソニアン博物館がある。そしてその博物館群の中に宇宙航空博物館がある。今では見ることができないが、その博物館の一角に広島に原爆投下したエノラゲイ号が展示されていた。親を呼ぶことの意味は正にこれだった。アメリカのワシントンで一聖業を預かる者として、原爆を落とされたその地の者として、親子三代がエノラゲイ号と対面する。どんな言葉を親父の口から聞けるのか楽しみではあったが意外とあっけなく「これか、、、」と言っただけであった。しかしこの対面こそが真の父母を知り認知する者としての大きな意味のある儀式なのだ。広島を代表して恨みの感情を燃え上がらせるのではなく、今となっては聞く耳も無く見る目も無い魂たちの目となり耳となって、これがあの時の空爆機ですよ、こうなりました、ああなりましたと説明を受けて報告する責任が自分にあることを感じていた。鎮魂する以前の事として先ず説明責任が被害を与えたものから為されねばならない。自分はその仲裁の位置にある。アメリカはアメリカで原爆投下に対して正当化しきっている。日本の多くのものはいまだ救われない魂のあることすら忘れ去っている。そのはざまで神と悪魔の取引に翻弄され犠牲になった魂は行き場を失う。癒して差し上げよう等とおこがましい気持ちはない。ただ今の自分に何が出来るかを進めるしかない。訓読すればみ言葉の中に自分の救いを見出そうと、なぞるみ言葉に張り付くように文字を追っている多くの魂がその場にある。一句一句に祈りと感情を込めながら頁を進めていくことが彼らに対する優しさだと思っている。
ホームランド (2)
原爆といえば放射能を浴びることによる被害が大きく知らされるが、このとてつもない威力の爆弾が炸裂することによる爆風と熱線による被害をまず直視しなければならない。放射能による被害も後々尾を引く大変なものであるが、この爆風と熱線が一瞬にして地獄絵図を現世に現した。熱線を直接受けた者は皮膚が焼き尽くされ溶けた皮膚が垂れて臓器がむき出しになる。強烈な爆発による風圧で瞬間的に気圧がさがり眼球や内臓が飛び出す。爆心地から数キロ圏内では焼け焦げた死体で埋め尽くされた。焼け焦げた身体を癒そうと飛び込んだ黒い死体が累々と本川を流れていく。垂れ落ちる皮膚を纏い、腕を下げると指先に激痛が走るので腕を胸のあたりまでもたげながら水を求め彷徨う姿は幽霊そのもの。爆心地から幾らか距離を置いて直接的被害から逃れたものには放射能の被害が数日を置いて襲いかかる。頭髪の脱毛が放射能を受けた合図となり歯茎からの出血、身体には紫色の皮下出血斑、顔にはヒルでも皮膚の下で這っているかのような赤紫の斑点で被い尽くされる。喉の痛みで物を飲み下せなくなるとともに歯茎からの出血が止まらず死に至る。この生き地獄を目にしたものはこれほどまでに人間は残酷になれるのかと思ったに違いない。この有様をどう捉えどう説明することで魂は癒されるのだろう。夜な夜な川面のほうから助けを求めに来ていた夥しい亡霊。癒しの言葉をどうやって見出せばいいのか。日本民族としての連帯罪の清算。おそらくそうだろう。しかしそれで納得することはありえない。地上天上に御国が為されて神様自身が彼らの身に味わった以上の辛苦を舐めてこられたことを理解したとき、初めて浄霊を受けるのかもしれない。摂理に加担するものとして救いを求める多くの魂の重みを感じるものでありたい。
ホームランド (1)
広島は選ばれた蕩減の地だ。八月六日のその日がまた近づく。入教したての頃の教会は誰もが知っている原爆ドームの直ぐ近くにあった。というより教会として借りていた建物が爆心地である。その建物の頭上580m上空で原爆は炸裂した。借りていた建物は二階建ての簡素な木造建築であったが広島が廃墟になる前の建物は立派なつくりの病院だったようだ。入教当時その教会では様々な霊的現象が起こっていた。なかにはエクソシストさながらの事件もある。いつの季節だったかよく覚えていないが夜中に大騒ぎになったことがある。二階に女性が休み一階の礼拝室で男性は休んでいたが夜中二時を回った頃だと思う。大きなゆれで目を覚ました。誰もが地震だと思えるほど大きなゆれが続く。しかしどうも様子がおかしい。玄関の辺りがやけに騒々しく、表から鍵のかかった開き戸をどんどん叩きながら太い男性の声で何やら訳の分からないことを叫んでいる。二三の兄弟が飛んでいって事は収まったようなのでまた眠りに付いたわけだが、明け方事の様子を知らされてびっくりした。ひとりの姉妹が霊的になり危険なのと周りの住人への配慮で、車で十五分くらいのところにある当時事務所で使っていた場所に移し興奮が収まるのを待つことにした。しかし送ってものの十分も経たぬうちにその姉妹は靴も履かずに抜け出し、まさしくとんで帰って教会を揺さぶる。いつもは目立たない小柄な女性が太い男性の声で大きな建物を壊れんばかりに揺するさまはホーラー映画さながらの事件で来教者への霊界の存在の証しとしてしばらくトークねたにされていた。自分こそメシヤだと叫ぶ者も現れたり人里離れた廃校で修練会をやれば参加もしていない女の子が写真に写ったりと、今思うと少々低級な内容ではあるが霊界を認める為の入門版のような事柄に事欠かなかった。それはそれとして広島に原爆が落とされた事実をどう捉えるか、ということが想像を絶する痛みを受けた多くの魂への責務として自分にあるはずだ。三十五万の町の半数以上が数日のうちに生命を奪われた。資料館に行けばその悲惨さの幾らかでも感じ取ることが出来ると思うが、それはまさしく言葉を失う。
2007年7月23日月曜日
杜若
数年前、業者から貰ったカレンダーの写真の中に、朝もやに浮かぶ青紫の花々の幻想的な風景が載っていた。どこかで見たような気がしてその写真の下に目をやると八幡湿原と記されている。見たことがあるも何も自分の故郷だ。霊界を映し出したようなその風景は、懐かしく見るというより何処となく暗さを思い起こさせる。日本の多くの田舎がそうであったように我が故郷も、都会から置き去りにされた孤独があってそういう気持ちにさせられるのかもしれない。しかし明らかに、そこに住む誰もが何か重いものを背負わされて暮らしていた。改めて故郷を思い起こすとそこは自然の営みの大きな流れの中で人間の無力さしか見出せない諦めと言ったらいいのか、その感情が村全体を占めていた。今と比べるわけにはいかないが、その当時でも住民は少ないのにそれでも自殺者は多かった。前の悲しい話が皆の間から消えぬうちに次の事が起こる。繊細な自分も子供の頃自分に纏わり付く亡霊を感じていた。目には見えずともいくつものそれがサクサクと音さえも聞こえるほどに魂を食むさまを感じていた。生きることの不安と虚しさが魂をすっぽりと覆ってしまう。だから自分を無いものにしようとしたそのやり切れぬ想いは、私なりに解かる。田舎の人は純粋そのものだ。そうであれば余計に悪魔の餌食となっていく。本来神が取るべきその魂を悪魔が掻っ攫っていく。霧の多い田舎では青紫のカキツバタの花弁の垂れ下がる様に亡霊を見る思いがしたが、晴れ渡った日のそれは純粋という花が咲いたような魂の高貴な姿を見る。祝福を受けた多くの善霊や先祖がその群生するカキツバタに喜びを表している。
2007年7月22日日曜日
使命完遂
生命を賭けて事に臨むという時にこそ本質の中に生きようとしている。生命を賭けると言う状況はそう日常的に起こるものではない。おそらく一生を通して一度あるかないかかも知れない。しかしその一度あるかないかの状況で本質的に生きれるか死ねるかの行動は、日々の生活を通して自分自身をどこまで純化できたかに依る。自分という宇宙の中に巣食う忌まわしい邪悪にどれだけ挑戦してきたかに依る。御父様は誰もが心の中で神と悪魔が戦っていると話される。自分の中に神と悪魔が同居しているのさえ解からないという状況は、私が心霊的な歩みの段階にすら届いていないということだ。飲み食い娶り、と言う自分中心の歩みの域から出ていない。どれ程神の名を唱えようが祈りの言葉を口にしようが、それは自分は信仰者だというただの自己満足だ。物が溢れるこのアメリカで消費し続けることに毒された体質で、どう自分を純化できるというのだろう。破裂するほどの腹を抱え、五感の心地よさだけを追い求め、その正体は生臭い慾の塊でありながらそれらを包み隠すことの才能は見事だ。しかしその太った蛇の正体が暴かれるときが直ぐ目の前に来ている。蛇にとっては裁きであるけれど、良心を心の奥深くにでも認めたものは恵みである。アメリカという国家の生誕にはキリスト精神が大きく関わっている。物が溢れるにしたがってルーシェル的な意識が勢力を増してきたが、キリスト精神の火種は消えはていない。その火種から炎を燃え上がらせ、アメリカとしての国家の使命、アメリカ市民としての使命を完遂するときがもうそこに来ているはずだ。生命を賭けて臨む愛の本質の中に入ろうとしている。そのお役目の旗持ちでもありそしてシンガリでもある聖軍としての平和軍だと、そういう意識を持ってその時に臨むべく、準備に余念が無い。
2007年7月15日日曜日
親としての覚悟
夜中12時を回った頃、今日の売上げの締めのためアパートを出ると、向かいの茂みの中から出てくる何か動くものが目にとまった。よく見るとどうも鹿らしい。鹿は夜も活動するらしく、アメリカでは夜中高速を走っていても鹿は良く飛び出してくるし、住宅地の近辺でも良く見かける。鹿もこちらに気付いたのか動きを止め、首を伸ばして揺らしながら光る眼をこちらに向けている。アメリカの鹿は野生であっても至って警戒心がない。私が何もしないのを見て取ると、茂みの中から出てきて歩き始める。しかしどうも動きが不自然でおかしい。前につんのめるようにして歩いている。よく見ると後ろ足の片方がブランブラン状態で、残りの三本の足で体を支えながら、身体を大きく揺らして歩いている。鹿は茂みを完全に抜け出ると暫く止まって首を茂みの方に向けた。向けたその先から一匹、その後に続いてもう一匹と小鹿が飛び出してきた。小鹿二匹がそろうとまた体を大きく揺らしながら先頭を歩き始めた。私はその母鹿と小鹿が歩いていくのを小さくなるまでずっと見続けていた。子供の為に痛々しさを気にもせず先導する母親鹿と、母の痛みも解からず安心しきってただただ付いていくだけの幼い二匹の小鹿。この家族鹿が視界から消えると、私の目から急に涙が流れてきた。親のあるべき姿をその鹿に教えられた。
2007年7月11日水曜日
頭を垂れる
食口は食口で、天の御心として自分は成長すべきだという意識が低かった。かたや責任者は責任者で食口を成長させようという意識も低かった。アベルであれカインであれ摂理摂理で自分の成長や兄弟の教育というのは二の次となり、そういった事を口にすること自体不信仰という空気があった。教育にはそれなりに暇も金もかかる。我々が成長しない限り摂理の進展もありえないとうすうす感じながらも、次々に来るノルマに翻弄されて今に至った。結果として、歳だけ取って役に立たない人材となる。外の空気に晒されれば自分はやっていけないと本人が一番解かっている。だから見っとも無い位しがみつく。曖昧にしていた信仰姿勢が感情となって噴出してくる。もはや外的な物の見方だけが心を占領し、自分は貧乏くじをひいたと腐る。内的な事や他に対する心の余裕はひとつも無い。外の厳しさに比べ中にいればその精神的苦労を舐めなくてよかった。完全な甘え人間に成り下がる。はっきり言うと個人も組織も一度清算しケジメをつけないと甘えの体質はいつまでも続く。本来体を使って一生懸命働くのは若いうちで、その間に籍を置く業種で知恵や勘、知識や感性というソフト面の価値財産を築く。その価値財産を使って将来的に体を使う以上の働きをなしていく、、、、というのが世の習いだと思う。しかし我々に於いてはただ体を動かしていただけで意識が働いておらず、ソフト面の価値が殆ど築かれていない。体が動かなくなったらそれで終わりだという思いがある。それを危機感として認識し意識を持たないとという想いに動かされればいいのだが、悲しいかな動こうとしない。何とかなると思っている。決して何とかならないのに、、、、。気付いたときには遅すぎたと言う想いもあるかも知れない。そして60に近い息切れのする兄弟を集めてああしろこうしろとオーダーを出す責任者の立場もまた、悲しい。この状況をどう天に申し訳すればいいのだろう。この状況から飛躍できるとしたら本当の奇跡だ。
2007年7月9日月曜日
瞑想(3)
全ての行動に、与えたいという衝動を動機付けて事を成していく。行動一つ一つに、自分と言う思いが無く惰性的な行動も無い。与える行動を持ってこそ自分と言う存在は他と関わることが出来る。この兄弟の為にという想いで携わったことで、この兄弟との関わりが出来る。お父様の為にわら一すじでもという想いでお父様との関わりが持てる。あるものを与えるとき物を与えているのではない。愛のひとつの形を与えている。言葉を渡すとき言葉を投げかけているのではない。相手に対する祈りを与えている。
瞑想(2)
安楽な想いの中に心地よい感情の中に、本質をみいだすことは難しい。困難な状況の中で様々な感情が自分を苛む時、本質は浮かび上がってくる。全ての起こる事柄の中に自分に取って無意味なものは何一つ無い。謙虚な心でその意味を尋ね請う。その意味するところをどうか教えて下さいと懇願する。自分は既に知っているという傲慢な心で本質を見抜くことはできない。謙虚であればあるほど事の本質、生きることの本質、宇宙の本質、を得ることが出来る。自分の中にある固定観念を打ち砕け。自分と言う定規で決め付けることをあきらめろ。嘔吐してヘタヘタと身体の崩れ折れるように自分を無力なものとする。そうすることで幽かな自分の生命力を広大無辺な宇宙の力に取って代える。
瞑想(1)
自分の内容があるかないかはこの際殆ど意味は無い。最初から内容などない。自分の心の闇から幽かに浮かび上がってくる魂の声を掬いだし、闇に埋もれる前に書き留める。自分の様々なる移ろい行く思考の断片を払いのけ、本質を見出してゆく。今日と言うこの時の中に余りある本質が影を潜めている。ただ単に見過ごし聞き過ごしやり過ごすだけでは何の宝も拾えない。探り当てる。戦いを挑む。安楽に感じているその中に見出せるものは安楽だけ。その安楽を崩す所から始まる。居心地のいいその心の置き場を崩す。崩した中から本質の一部が晒されてくる。本質を捉えず自分の生の永らえる意味は無い。本質はつかみ所の無い抽象的なものとは違う。本質は五感を超える手応えのある実体そのもの。与えられた事情圏環境圏そのものが事の本質ではない。それを道具として本質を見出す。えも言えぬ歓び、想像を絶する一体感、至上の安らぎ、こういった実感を五感で感じることは出来ない。
2007年7月8日日曜日
思考形態
この世の中にどっぷり浸かっているかどうかは、自分の思考形態を観察してみると良くわかる。世俗的環境に於いては、自分と比べるということに殆どの意識は使われる。比べるという意識は自己中心であればこそ出てくる意識だと思う。たいていの人は批判的思考が自分の思考形態の中心をなす。損得に敏感だとか悲観的だとか、優越感を覚えるとか減少感を覚えるとか、全ては比べると言う意識から発せられる。この世に於いては尊敬、畏敬、賛美、感謝の感情はなかなか育ちにくい。自分自身を新しい次元に昇華させようとするなら、こういった感情を自分で自分の中に生み出す努力を重ねなければならないだろう。一輪の花を見ながら、誰に見られるでもないその花が与えることだけに精一杯生ききろうとする姿を見て、はらはら涙が流れるほどの賛美や崇敬の対象となるものを環境や体験の中に捜し求める。環境や体験をただ受動的に捉えるだけではその発見は見出せない。想いを自分から能動的に働かせて接すると、世界は違う様相を帯びてくる。それは五感を超えた霊的感性の萌芽が目覚める時だ。五感を通して得る肉的要求の満足だけで生をおくる人は、人間本来の生とは程遠い。どちらかというと動物に近い。しかし先程述べた宗教的感情を育てるほどに神様に近くなっていく。生きる真の喜びを知るようになる。人間としての自己変革は、内なる思考生活のその深みの中で遂行される。自分を変えるとは思考を変える事である。
2007年7月3日火曜日
新次元の扉
摂理かビジネスかという話をしたが、摂理であるならそれはなにかということだ。摂理を進めるために金が必要だ、だからその金を生み出す為の金の鶏が必要である、兄弟ひとりひとりが金の鶏になりそしてより大きな金の鶏となる為に組織作りをする、しかし金を生み出すことが本当に摂理なのだろうか?摂理を進めるために金が必要であるのにその金を生み出す事自体が目標になっているような気がする。御父様の願いに応える為、摂理を進めるために、だから金が必要なのだというその想いがあるなら、御父様の願いの中に生き摂理に貢献していると言えるだろう。しかし金を作ること自体が目標となってしまって、たとえ結果的にはその金を捧げるとしてもそれは本当の意味で天の願いに生き摂理に生きたと言えるのだろうか。私はこの辺の本質的動機付けが全てを決め得るという気がしている。出しても出しても際限の無い献金活動、この根底にあるのは我々の意識が金を作ることに成り下がっているから、要するに潜在意識の中にとにかく金を作って出すと言う事を自分のなかに観念として刷り込んでいるから結果としてそうなっているとはいえないだろうか。金を出すことで完結できない摂理が本来我々の意識であるべきで、それがいつのまにか金だけ上に流していればという意識にすりかわってしまったためにその当然の結果として金を吐き出すことだけにアップアップしている。与えること、為に生きることが摂理の本質で、レストラン業を媒介として摂理するとはレストランを通して為に生きる、真の愛の及ぶ範囲を広めていく、天の愛の影響圏を広めていくと言うことになると思う。自分自身の転換点、と同時に私が預かっている店の転換点は明らかにその意識に目覚めたときだと思う。簡単にいうと金の意識から愛の意識に次元が上がった時全ての歯車が噛み合い始めるのだと思う。しかし完全にそのステージに上がり切った訳ではないのでまだそれなりにSTRUGGLEすることもあるが、しかし明らかに自分も店も従業員も金回りも前とは違ってきている。しかし天の本当の霊感商法はこんなものではないだろう。TPの勝利的内容は爆発的な運勢圏を天宙にもたらしているはずだ。そこに我々が直結するなら想像だにしない結実を目の当たりにする時が直ぐそこに来ているのかも知れない。その糸口が、霊界に通ずる糸口が、新しい次元に移行する糸口が目の前にある。同じ事情圏環境圏でありながら、全ての対象物が今までとは全く違ったものに見える発見が加わってくる。
2007年7月2日月曜日
歩みの本質
我々の歩みの本質は霊界にある。そう断言できる。このレストラン業を摂理として取り組んでいるのか、ビジネスとして取り組んでいるのかと問うなら明らかに摂理として取り組んでいる。摂理としてビジネスに取り組んでいるなどと、さも解かったような物言いをする兄弟もたくさんいる。がこれは言い訳の為の方便であって我々の歩みの本質ではないだろう。ビジネスとしての当然の行動も、摂理だからと言って抑えられる局面もあれば、逆にビジネスなんだからそれなりの結果を出せと責められる場合もある。要するに上の立場にある者も、これは摂理でありビジネスであるという、時として矛盾する内容を自分も分からずに思い込みで上意下達する。口の上での事ならそれで済むが、それを形にしようとすれば混乱を生じる。現場の者もそのまま受け取るなら店も崩壊するし自分も崩壊する。だから現場の者は混乱を最小に止める為のフィルターをその意識の中に用意している。自分と店を擁護する為の安全圏をその意識の中に用意している。それがいいとか悪いとかではなくそうならざるを得なかった。私は御父様が願われるレストラン業というのは摂理としてであり、要するにビジネスの形を装った摂理であって、摂理である以上全てにおいて金、金、金、金まみれの様相とは次元を異にすべきだと思う。勿論金自体も前から言うように万物の象徴、愛のひとつの形、愛のひとつの流れとしての要素も多大にあるというのはその通りだが、愛に絶対的価値を置いて、為に生きるという与える想いや意識があって、その上での愛のひとつの形としての金の授受であるべきだと思う。特に今回の要求もビジネス的に考えれば自殺行為に等しい。しかしこの出資(?)を損金として捉えあきらめるのではなく、教会を支えアメリカを支える為の愛の形として感謝して送る意識を何とかして創らない限り、後に繋げる希望は全く見えてこない。正直に言うと心の中は背水の陣だ。ここで踏ん張ろうと思ったら祈るしかない。祈って祈って神の言葉を聞くしかない。我々の歩みの本質は霊界にある。神の願いを知る為に霊界と100%繋がり、地上に基盤を築くための霊的アンテナとなって着々と摂理を進めていく。愛の粒子が我々を通して地上に流れ、愛の色にそこここが染まっていくのを霊視しながら摂理を進めていく。その域に達する為には祈るしかないと思う。霊的になるしかないと思う。そうして本来あるべきビジネスを超える本当の霊感商法がアメリカで花を咲かせる。
2007年6月30日土曜日
久々の新規店舗
閑古鳥が鳴いていた三十席あまりのレストランを買ったと言う。どんな店かと興味津々で担当の兄弟の道案内で俄か査定を試みる。オープンして五年が経つと言うが机も椅子も新品同様だ。しかし、調度品が新しそうだからという理由でこのレストランを買ったわけではないだろう。正直どうしてこんな店を買ったのか私には理解できなかった。寂れたショッピングセンターの中程に位置した千二~三百スクエアーの店。土地勘がないのでそのショッピングセンターの地の利がどれ程のものか良くわからないため断言することはできない。感じる範囲で、こうしてみたらああしてみたらと言って置くしかない。担当者はそれなりにやる気があるのに、それを削いでしまっては元も子もない。そしてオープン当日。日本人世帯に対するあらゆる宣伝を打って始めたものの出足はいまいちのようだ。売り上げを尋ねるとランチで300ドルだと言う。私は上出来だと思う。恐らく前の経営の時はランチで百ドルいっていなかったと思う。月目標五万ドルと言うことだが目標は目標、最初から達成することなど望むべくも無い。レストランを二十数年手懸けてきたものが手を出す代物ではないとは思ったが、買った以上そこまでに至る経緯はあったはずだ。状況のわからないものがとやかく言う意味は無い。勝負はこれから賭けるものと覚悟すべきだろう。担当者がどれだけこの店に想い入れをかけるかだ。儲けようなどと言うスケベ根性は捨てて、どれだけこの店を愛するかだ。子供を育てるのと一緒であきらめない限りつぶれることは無い。しかし何とも寂しい想いがする。レストランの、とりわけ日本食レストランのプロの集団が取り掛かる物件なのかという思いが、どうしても払拭されない。それぞれの現場で歩んでいるマネージャー達の声を耳掻き一掬いでもと言う気持ちは起こらなかったのだろうか。どんな赤字の店の店長であっても、この物件を良しとする店長はうちのグループにはいないと思う。本部に取っては減るばかりであったレストランを一軒増やしたという事実が必要だったのかもしれない。
2007年6月2日土曜日
霊的生活
人間は肉身と霊人体をもっている。肉身は地上世界との情報と要素をやり取りしながら存在し、霊人体は霊界との情報と要素をやり取りしながら存在する。地上世界霊界と区別する感覚は地上生活的感覚の区別であり本来線を引いたように区別できるような内容のものではない。地上世界の特徴は感覚を通して受ける情報(ある意味要素)で生活する、すなわち受けることを通して生活する場であり溢れんばかりに受ける生活の中に与えることを学んでいく場が地上であり与えることの何たるかを学んで霊界で生活する。地上生活は受動的であるのに比べ霊界での生活は能動的である。地上で受けることしか知らないと、働きかけること与えることで世界が広がり認識される世界の霊界では非常に不自由なものとなる。与えることにいつも前向きな人すなわち愛の深い人こそ霊界での生活はより自由となる。この辺の感覚が理解できると霊的な意味がより論理的科学的なものとなる。咲き誇る花々や生い茂る木々には霊人体はない。霊人体はないが神の霊が直接的に働きかける。草木を霊的に観るなら魂に染み入る輝きを心地よく受け取る様を実感する。絵を見て感動する。それは絵そのものに感動しているのではなく筆遣い色使いを通し背後にある作者の想いを受けて感動する。すなわち霊的に見ていることを意味する。音楽を聴いて涙を流す。音の流れだけを受け取るのではなく流れに乗せられて作者の魂が届く。霊的に聴いているので涙が流れる。誰もが霊的に視たり聴いたりしている。しかし程度の差があるため自分を霊的な存在だと認識しない。内的なものに外的なもの以上の価値を見出すとき霊的成長が始まる。
2007年5月27日日曜日
食口は神様の子羊
まれに頭脳明晰な兄弟もいるにはいるが、ティピカル食口は実力でこの世から劣る場合が多い。勿論自分もその一人だ。天は招待していた人が無視して現れないので、本来予定になかった者が急ぎ声をかけられた立場が我々ではある。しかし神様に対して申し訳ない思いは持つとしても、兄弟をないがしろにすべきではない。その兄弟一人を復帰するためにどれだけ神様が精誠を捧げてこられたか。自分から門を叩き自分の意思でこの道を歩むことを選択したように思えるが、実は神様が私をたずね神様が声をかけて下さったのが食口一人一人である。どれ程心を閉ざしたとしても、どれ程教会から距離を置くとしても、離れれば離れるほどにその兄弟に対する神様のいとおしい想いは益々募る。迷った子羊を主人が探す話と同じだ。神様のその想いが心に届けばこそ責任から逃れたことで平安になるどころか胸が痛む。良心の呵責は益々募る。どれ程信仰に於いて幼く、情けないほどにやる気が失せているとしても、神様が心を砕いて呼び寄せた一人一人の兄弟達だ。神様の想いがその兄弟の中にあるから尊い。共に歩む中でそのような認識を持って接してきただろうか。使い捨て同然の意識が私達の中に米粒一つでも無かっただろうか。神様父母様と同じ目線で兄弟達に接しているだろうか。今立たされている立場が兄弟の上に立つ位置であるなら、他の兄弟より優れているから立たされたのではなく、他の兄弟の良き点を引き出し立たせる為に置かれた自分だと内的に捉えるべきだと思う。今までさも同然のように無意識に対していた全ての事柄を、一つ一つその真の意味、本質を探り出す作業が必要だ。食口を見て神を見ることが出来るような、本質的な自分を備えなければ私はこの位置にふさわしくない。
2007年5月24日木曜日
オーナーリターン
今の経営は(現代ファイナンス論)に思想理念の基礎を置いている。ようするに企業価値、株主価値というように会社も一つの商品として取り扱われる。そのために証券市場という企業を売る店舗に於いて企業買収が起こる。経営の良し悪しは企業価値を高めたかどうか、即ち株価時価総額を高めたかどうかで判断される。長期的判断によるのであれば百歩譲って良しとしても、デイトレイダーに見られるように短期も短期、時間毎に企業価値が判断されギャンブルの為のゲーム機ぐらいの感覚しかない烏合の株主は糞にもならないだろう。レイダーと呼ばれる乗っ取り屋、少し前日本を賑わした村上ファンド等がその類なのだが、それらは投資家から資金を集め、ある会社に狙いをつけて買収する。買収されれば経営者陣は更迭され、息のかかった経営陣に取って代わる。長期的視野などはなからなく、首は切り放題コストは下げ放題でとにかく短期に於いては経営状態が目を見張るほど良くなり株価は最大化される。そして株価が天井を突いた時点で売り抜ける。あとは野となれ山となれでその企業は一気に破綻に向かう。株主に目を向けることと消費者に目を向けることとは意味合いがまるで違い、会社を同じベクトルの方向に向けることはない。本部でオーナーリターンという言葉を何度も聞いた。確かにたかれるだけたかるその辺の株主と一緒にすることは失礼極まりないが、オーナーリターン以上に企業は社会の為にあるべきだと自分は思う。どれだけ客の為に社会の為に精誠を尽くしているかという、オーナーの言う「為に生きる精神」を徹底すべきで、その本質が浸透すれば自ずと売り上げも増し利益も増し会社も発展すると思う。コストを下げろと口をすっぱくするより、客は何を望みどう客の為になればコストが下がるのかという価値創造的な方向に意識を向けるべきだと私は思う。利益はそれだけを追求すべきものではない。いかに社会に貢献したかの結果として、あるいは社会からの会社の期待値として、必要に応じて付いてくるものだと私は信じている。
2007年4月25日水曜日
レストラン教会
特にレストラン商売はいつも客に顔を向けている必要がある。客の店に対するイメージが全てだ。それがたとえ営業時間外のことであっても疎かにすることは決して出来ない。電話の客に対する応対であれば声だけで全てを判断されるため、トーンやリズム、間の置き方全てにまで気を使わなければならない。営業時間を過ぎて入ってきても、シェフが中にいる限りはオーダーを取る。断りを入れる場合も細心の注意を払って伝える。どんなに広い心を持った客であっても、客は元来わがままなものであるという認識は必要だ。後で来た客の方が品物がでるのが早かったとか、サーバーが皿を置いたとき音を立てただとか、よくもこんな小さなことまでと思えるほどに客は気にする。自分が客で他の店に行ったときもいくらでも文句が出てくるので、客の立場そのものがそういうものなんだと認識する必要がある。以前卸に勤めていたときと、今レストランを運営しているときと、その神経の使い方を比べるなら天と地ほどの差がある。先日週末に、必要な食材がショートしてしまった。急いで業者のセールス担当と鍵を持っている在庫担当に電話を入れ、事情を話して何とかしようと思ったが私が知ったのが日曜だったせいもあってそっけない返事しか返ってこなかった。落ち度は100%こちら側にあることを百も承知で敢えて言わせて貰うなら、彼らには商売の基本が抜けている。その物言いに客の立場に立った対応は感じられない。出来ないことは出来ない、しかしそのことをどう客に納得してもらうかの配慮がないし配慮の必要性を感じていない。これを殿様商売というのだろう。レストラン業界も流通業界も競争は益々激しくなってくる。客は価格の安さに飛びついてくるように思える。しかし価格だけに意識が行き過ぎてもっと大切なことが疎かになっていないか。兄弟にレストランで働きたいか卸し業務で働きたいかを聞けば八割強は卸で働きたいと言うだろう。神経の使う度合いが違う。兄弟は精神的負担を好まない。実入りがどうこうと言うより少しでも楽に生きたいという気持ちがある。摂理を進めようとする場合、伝道しようとする場合、気も使う神経も使う心も使う、そのことから敢えて逃げようとしている態度や姿勢は見るに悲しい。自分が本当に天の為に役に立ちたいと思っているのか、或いは恵みから漏れるのを恐れ、裁かれるのを恐れてしがみついているだけなのか、どちらでもなく生きながらえる為の生活の支えだけなのか、よくよく考えてみる必要がある。客が引き従業員が引くと私一人が残る。店の中で叫ぼうが泣こうが誰も干渉しない。歌って発散するも良し踊って馬鹿になるも良し、そして何よりも瞑想の空間がそこにあって祈りの場があることが自分にとって本当に有難い。静まり返った店の中で自分としっかり向き合い神様と対話できるとき、思考の底から魂の内から自分の在り様が教えられる。御父様がレストラン教会と言われるように、レストランは自分にとっての教会である。
2007年4月18日水曜日
ひとつの信仰形態
私が籍を置く教会リージョンには分派と呼ばれる集まりがある。御父様 のお兄様か誰かの啓示が下った様で、大母様と同じような霊的役事をしている。教会と縁を切ってやっているという意識は彼ら達にはなく、より教会の為になるという想い入れが強く働いている。直接集会に行ったことは無く又聞きではあるが、役事もパワフルで病が治ったという証もいくつか耳にする。摂理に対する活動も積極的で、疲れた兄弟のような形だけお付き合いしておくという関わりではない。御父様にも何度か役事の許可を得ようとしたようだが、勿論聴く耳など持たれるはずがない。これを公に許すなら大きな混乱を来たす。恐らく当の本人は御父様を思ってのことで私的な思いは無いと思う。無碍にされればされるほどに、一片丹心の気持ちが益々募って想い入れは強くなっていく。その集まりにある程度関わっている兄弟と話す機会があった。私が思った通り信仰には磨きがかかっている。み言葉もよく読んでおり考察も深い。さらに謙虚な姿勢は前の彼を知るなら明らかだ。み言葉を生活実践するという意識が実に強い。なかでも私に興味を持たせたのは御父様がこれ程にパワフルであるのは愛の何たるかを実践しておられる、誤解を恐れず言うなら夫婦生活のあり方が力の基なのだと言う。夫婦生活のあと疲れるのは真の行いではないからそうで、本来は一つになればなるほど力は出てくる、と言う。私はほほうと思った。道教に見る性のあり方のような理解が彼らにはある。何もわかっていないただ付いて来ているだけの兄弟にとっては毒薬なのかもしれないが、み言葉の何たるかをわかっている者には気付かなかった感性が開けるような気もしてくる。私の周りの兄弟は何度も何度も誘われているようだが、何に対しても距離を置くことで今まで歩んできたから、自分はその集会に行っても心を開くことはないなとは思うが、誘われたことは一度も無い。
長子国家
世界がアメリカを中心として回る為に、アメリカはどうあるべきかをアメリカは常に思考し続けている。理解を超える戦略も、理屈に合わぬ外交態度も全ては先の先まで見通してのことだ。日本は今、政府の借金が1000兆円に迫ろうとしている。アメリカはどうかというと家計の借金が1000兆円を超える。今までの日本の家計のように貯蓄という意識はあまりない。貯蓄よりも投資して資産を育てることを考える、と言うよりそう政府に仕向けられている。大きく分けて債権と不動産だが、とりわけここ五年六年の間は住宅購入が投資の流れだ。五年前に比べて全米平均の価格上昇は二倍近くなっているのではないだろうか。私が住んでいるカウンティーは三倍以上の上げ幅になっているところもある。自分はアパート住まいだからどうでもいい話だが、ここまでの上げ幅だと下手に仕事をするよりは住宅の売り買いを短期で回したほうがよっぽど資産は増えていく。アメリカは住宅ローン支払い途中でもその住宅の価値分の新たなローンを組むことが出来る。ホームイクイッティーローンがそれだ。使用用途は問われることなく簡単に貸してくれるから、借りては買い借りては買いを繰り返す。過去五年の住宅購入の七割方がセカンドハウス、サードハウスだという統計からもその流れが良く解る。住むための購入ではなく明らかに投資対象だ。たとえ平均年収十万ドルとしても、平均住宅価格が年収の六倍七倍に迫る状況は明らかにバランスを逸している。ソフトランディングか何だか知らないが、この今にも破裂しそうな状況を少しずつ少しずつガス抜きしようとバーナンキさん頑張っているが、おそらく無理だと思う。遠からず必ず破裂する。アメリカという国は実に面白い。いかにも国民に目を向けているようで、しかし実のところ国民をだしにしながらアメリカが世界の中心であり続けるための道具にされている。中心であり続けるためには世界経済を押さえる必要がある。そして世界経済を押さえる為に米ドルが機軸通貨である必要がある。基軸通貨であるために他国(特に日本、中国)がドルを買い続け増やし続ける必要がある。ただ持たせているだけではどうにもならないので、それを更に増やしてあげますよと誘い文句をかけ、アメリカの債権を買わす。債権の中には住宅ローンの債権も勿論ある。他国が買ってくれる債権の為に国民には借金し続けろというのが住宅バブルだ。基軸通貨であるために回し続ける必要がある。だまっててもドルが世界を回りまわった時代はとっくに過ぎている。それを今はアメリカ自身が手を変え品を変えてまわし続けている。国民の借金がどうなろうと国の知ったこっちゃない。これがアメリカなのだ。しかしだから悪だとは言えない。世界の主導権を握り神の御心に地球船の舳先を向けることが出来るなら、立派に長男としての責任を果たすだろう。イラクのフセインがユーロ建てにオイルマネーを変えようとしたことが、アメリカがイラクを叩くことの根底にある。911も実は陰では予想していたのだと、とんでも本に書いてあることも満更うそではないらしいと思えてくる。アルカイーダからフセインへどう言い訳しても無理がある。とにかくアメリカの、外見にはいたずら息子の大暴れ振りで世界は呉越同舟だ。もはやアメリカが倒れるときはアメリカだけに終わらない。日本も中国もアメリカと二人三脚であり世界全体が複雑に連鎖しあっている。勿論人類一個人一個人も例外なく根底から影響を受ける。だからこれから世界規模の変革が起こらざるを得ない。経済だけに留まらない。その変革は地球を巻き込み宇宙を巻き込んでいくだろう。神様が対することが出来る宇宙となり人類となるために先ず混沌期を潜らせ、個人から始まり全ての段階で善と悪を振り分ける作業が始まろうとしている。バブル崩壊はその突破口なのだ。
2007年4月17日火曜日
金融商品
金融という化け物は有機的グローバル社会の循環系(金の流れ)に於いて何を意味するのだろうか。異常に血液(マネーサプライ)を必要とする大きな癌細胞なのだろうか。金融によって濃度の濃かった血液は水で何倍にも薄められて社会を流れていく。かたや一日に数十億数百億得たり失ったりする一方で、ビジネスの底辺に於いては一日に数ドル数十ドル単位の経済だ。この呆れ返るほどのギャップが引き起こしているものが何であり、結果としてどうなっていくのか、今の私にはわからない。今摂理に於いて天文学的マネーの必要性がある。そうであれば魚一匹を売り、すし一つ一つを握ることに意味を見出せなくなる。これに応えるには金融社会に足を踏み入れるべきなのだろうか。必要性を踏まえて天が用意したものが金融ビジネスであるなら、地道に底辺で商いをしていることに内的意味は見出されるとしても実質的マネーを稼ぎ出す意味合いは薄れてくる。日本に於いては兄弟が多重債務を抱えながらも摂理をバックアップしてきた。背に腹は変えられない状況でこうならざるを得なかったのかとは思うが、少なからず経営に従事してきた者としてはその状況は将来に対する責任を放棄することを意味している。首の回らない今の状態を借金を始めるとき思い至らなかったのか、解っていても従順屈服の思いで周囲を見回して右に倣えでそうせざるを得なかったのか。借金で首が回りませんと言い訳することが天の願いとは思わないし、借金してでも出せというのが本当に天の願いなのかどうかは私にはわからない。兄弟の苦労は痛いほど理解してた上で敢えて口にするなら、借金することを我々が選んだのであるならそれは意識しない逃げだと思う。返せる見込みのある借金は百歩譲って良しとしても、摂理はその金がつぎ込まれたことで終える訳ではないだろう。更に進められ資金はもっと必要になってくる。その事への算段を少しでもするなら、強盗は出来ても借金はできないことに思いは至る。借金を抱えた時点で、返すことに意識も心も働きも活動も捕えられて、摂理に対するエネルギーは残されない。要するに借金した時点で摂理から距離を置くことになる。だが、、、しかし今のこの金融ビジネスだ。借りることに足を踏み入れた以上更に借りて金融社会へデビューすべきなのかも知れない。もはや怖いものなしと言うことだ。借金地獄から一気に金融天国に次元移動する。この金融バブルはそのうち必ず弾ける。それも破壊的状況で弾ける。しかし日本の兄弟の借金がチャラになるまでバブル景気は続くと思っている。早く手を付けろと霊界が後押ししている今なのだ、とそう思う気持ちも実はある。
人事
人事に忠実であり絶対服従の意識を持ってそれを受けることは大切だと思う。しかし後先も考えず身体だけ移動してもそれは本当の意味で人事を受けたと言えるのだろうか。無意識的無責任の行動は後先を考えない。鼻から他人任せなのだ。自分自身のことすら他人任せなのだ。そういう者は人事に従うことはただの形だけの踏み絵に過ぎないだろう。今まで人事を蹴って組織の外に流れていった多くの兄弟がいる。御父様は彼らを断罪するだろうか。私はそうは思えない。組織を離れることが信仰を投げ出すとか、反旗を翻すとかと言うことではない。み旨に貢献することを否定して人事を受け入れないのか、自分はこれを受けても貢献できないと言う思いから受け入れないのか、その本当の動機は本人と神様しかわからない。おそらく、より貢献できる確信もなく受け入れるほどの捨て身にもなれないと言う思いがあるのはそうだと思う。では御父様から直接人事を受けた場合も背を向けるのだろうか。それはないし自分もそうだとは思う。槍を持てと言われれば槍を持ち、死ねと言われれば死ねるかと言われれば、おそらくそうだと思う。ある意味祝福だって外的なことだけを言えばひとつの人事だ。この兄弟(姉妹)と一緒になれと言われれば好き嫌いを乗り越えて一緒にならざるを得ない。それだけの人事の重みを直接の中心に対しては覚えないだけの話だと思う。この組織に属することを宿命的責任分担として受ける兄弟の横で、生活のために籍を置いているだけの人事権外の兄弟がいる。この位置の違いを内的にどう捉え、説明し、理解を得るかが中心の重要懸案だと思う。それが曖昧なままで人事権をどうこう言うことはできない、と思う。
無意識的無責任
社長は社長で深く祈り、熟慮に熟慮を重ねた末の発案であり結論であると思う。しかし受ける側に於いて、その為さんとし背負おうとしている組織作りの意味も、そのための借金の重みも、理解しているとは思えない。皆の目は一様に据わってはいない。自分には何も降りかかるものはないと安心し切っている。自分の会社や店であるなら、たとえ発展的な投資だとして、借金するにしても相当の腹なり決意が必要なのだ。その重みある言葉のひとつも兄弟の言動から感じることはない。更に言うとその借金も店にとっては投資の為の発展的なものではなく、莫大な損金でしかない。敢えて言うなら私も含めて無意識的に無責任であるのが悲しいかな大方の兄弟だ。ある意味我々の組織は過保護であり過ぎたのだと思う。給料や報酬という、仕事に対する根本的制度を否定してきた為に、減収措置を取られることを始めとする責任を取るという意味合いがわからないで来ている。どんなにポカをしても形として自分に火の粉はかからない。ならば責任を取らせて指を詰めるとか腹を切るとか責任の取り方を要求していれば今の能天気な状態にはならなかっただろうにと思う。責任を取ることを知らない人間が、物事に対して本質的真剣さを学ぶことはない。今となっては道楽的体質の個人も組織も使い物にならない。祝福家庭だからというただそれだけで生きながらえて来た者は、自分を変革することなしに生き延びることは今後ありえないだろう。
体質改善
今の組織体質であればこそ繋がっており、それなりに役に立っている兄弟が今の時点では残っているのだと思う。よって今の状態が変わるなら、今席を置いている兄弟達が残ることが出来るだろうか。たとえ残っていくとしても貢献できる状態であるかどうかは甚だ疑問だ。体制が変わればそれに合った人材が用意され集まるものだと思う。今ある人材(兄弟)は去るにしろ残るにしろ、彼ら自身新しい意識を身に着けることを要求されるだろう。生を繋ぐ事それ自体に意識改革が要求される。もはや新しい意識の次元が世を覆っている。後天開闢時代の夜明けが個人に於いて組織に於いて意味するものを考えなければならない。それに合わない或いは合わせようとしない個も組織も淘汰されざるを得ない。天の組織なんだと息巻いても、願いから程遠い現実であることは否定できない。ただ単に、願われる規模のビジネスではないとか利益の桁が違うとか、そんな次元の話ではないだろう。新しい時代の価値観、意識、存在理由に合わない限り、お題目だけで生き残ることはできない。組織が変わることと同時に個も変わることを否応なく要求される。会社を大きくしていくことが必要であるとか利益をどうやってはじこうかとか、多分に方法論に目を向けようとするが、それ自体勘違いも甚だしいという感じを受ける。もっと本質的な問いを、責任者を始めとする一人一人が問いかける必要がある。
疑問
会議が月初めにあって半月が過ぎる。あの会議が何であったのか反芻してみるにはいい間(ま)だと思う。社長の言わんとすることは解る。御父様の願いに何とか応えたい切実さも解る。しかしどんなに社長が訴えても、それでマネジャー一人一人が変わるだろうか、我々の体質が変わるだろうか、現場が変わるだろうか、と言うのが正直思うところだ。当の本人達は願いに応えようと思っていると思い込んでいる。しかし前にも書いたが所詮受身でしかない。自分が意思と行動の出発点であるべきことを理解していない。目は前を見、身体はその場にあっても心の在り様は違う。どうしても他人事の域を脱することはない。自分の意識の立ち位置すらわかっていない兄弟の方が多い。願いに応える、中心の為に決意する、精誠を捧げる、立派な言葉は確かに多い。しかしその本当の意味を解ってもいないし解ろうともしていない。解ったつもりでいる。そういった言葉を口にして唱えていればそうなっていると錯覚を覚えている。信仰を繋いできた今までの年月、ずっと錯覚し続けている。自分で生きる、自分で稼ぐ、自分で欲しいものを掴む、と言う感覚がないものが更にそれを超えた意識に到達することが出来るだろうか。自分が学生上がりでこの道に来た為にそんなことを思うのかもしれない。でも社長の言いたいことだけを聞いて、それで終わりだと言う雰囲気がないといえるだろうか。
2007年3月25日日曜日
個性真理体
店の従業員一人一人を見ると多種多様だ。皆それぞれにいろんな個性を持っている。いろんな個性があるから私との反目、或いは他の従業員との反目が出てくる。と同時にその個性故に他の人とは違う力量を発揮しもする。個性それ自体をいいとか悪いとか決めることは責任者であってもしてはいけないしできない。最初は私も個性と堕落性を混同していて使えないものは使えないと決め付け、剃刀のような判断をした時もあった。その為恨みの多くを買った。もちろん今でもひとりの人間を見極めるほど成長している訳でもないし、当の本人にして自分の個性も堕落性も認識していないことの方が殆どだ。こういう実験結果がある。蟻百匹集めて行動を取らせると、働き者の蟻でありながら二割ほどの蟻がどうもサボる。そこでその二割の蟻を取り除いて完全な働き者集団にするのだが、しかしそのうちの二割がまたサボり始める。そこでまたその二割を取り除いて見るが同じことが起こる、というおもしろい現象だ。これをどう解釈するかというと働き者の蟻でさえ怠けるものが何%かは出てくる、と言うことではない。これは働き者の蟻であるからこそ余裕のある蟻の存在が必要である、と言うことなのだ。要するに全体として働きのレベルを維持する為に何%かの余裕が必要であり、それ故に他の蟻が安心して一生懸命働くことが出来る。100%皆が全力疾走していると自分がばてても自分に変わるものがいない。しかし余裕を持っている蟻の存在を認識すると自分がばててもあの蟻が頑張ってくれるから杞憂なく頑張れる、と言うことなのである。私はこの話を聞いて大きな気付きを得た、と言うか反省した。それまでのギスギスで杓子定規な判断をキッパリやめた。普通、責任者は従業員を判断するに態度、スキル、仕事量、協調性等を判断材料とする。しかし多くの客を得ようと思えば客を引き付けるだけの魅力を店も従業員も持つ必要がある。客がこの店に行きたいという衝動を感じるのに、上記の判断材料は直接的意味を持たない。よくわからないけどこの店に足が向く、と言う状態がその店のパワーだ。心に何か感じた客はうちの店から遠ざかることはない。目の前にいる客に喜んで欲しい、幸せになって欲しい、という思いは言葉に表情に態度に必ず現れる。従業員が向かおうとする所がその意識であることが何よりも大切だ。他の会社はどうか分からないが店のマネージャーとして最も大切なことは従業員にその気付きを与えることである。と同時にその従業員の個性に対する気付きを本人に与えることだ。その個性が店にとってどう貢献できるのかを認識するということだ。責任者として従業員を愛する、為に生きる気持ちがなければ気付きを与えることは出来ない。従業員に対してマネージャーの意に完全に沿うことを期待すると従業員はバーンアウトしてしまう。二割前後の余裕を与える意識を持つと従業員は成長できる余裕を持てる。自己を見つめるそして自分の個性が何でありどういう貢献ができるかを浮き上がらせる為にその余裕が必要だ。本当に力のある店は上に対して言いなりになる従業員を育てた店ではなく、個性を見出しそれが店にとってどう大切なものなのかの認識がある従業員を育てた店だ。
仕事に対する絶対信仰
経済とは肉体に於ける血液循環のように国や世界の循環系をいう。血液は循環しないとその働きがなされないように、金も回っていかないと経済の活力は出てこない。それぞれの臓器が他の臓器とどういう関係性を持っているかを考えると、個人や会社が、ひとつの社会的組織として社会の中でどういうスタンスを取るべきなのかが見えてくる。どの臓器だって自分が全ての血液を我が物にしようとはしない。全体にとって良くないだけでなく自分にとっても破壊行為となる。そう見ると経済活動に於いて儲けだけに専念するという行為が破壊行為に繋がるというのは簡単に納得できることだ。我々の組織が儲けた金を捧げるのであるからどこよりも公的団体である、そう認識するのはある意味詭弁だろう。そうであると断言するなら最初から経済活動などせずに銀行強盗でも何でもやればいいということになる。客に向いては内心金を出せと叫び、天に捧げる時は敬虔な心を持つ、という使い分けが出来る人間を私は信じることができないし、そんな人間もいないはずだ。下を向こうが上を向こうが為に生きる気持ちを変えたいとは思わない。この世に於いて、大小に関わらず残った会社や店は公的貢献度がそれなりにあると社会に認められているから残っているのだ。確かに癌と呼ばれるような会社や団体もある。しかしこれだってある意味社会に貢献はしている。全くの善の貢献ではないけれど必要悪というものも堕落社会にはある。それにひとつの事業体が最初から公的意識に立って出発したというものは先ずない。最初は自分の為生活の為の出発がある。そのレベルからその事業体で働く従業員の為という意識に変わってくる。さらにレベルが上がると客の為まわりの社会の為という意識、さらに向上するとより大きな公的意識にと事業体として目覚めていく。その段階で儲けという意識は影をひそめ、社会への貢献度を喜びとするようになっていく。自分がレベルを上げることによって事業体もレベルを上げていく。逆に事業体がレベルを上げることによって自分も引き上げられる。位置が人を創るというように会社や事業団体が従業員全体のレベルを引き上げていく。為に生きる、というみ言を文字としてだけ捉えている兄弟は、是非会社でも起こして生活として実感としての為に生きる歩みをなして欲しい。御父様が僕の僕から出発されたように、自分の商いでも始めて客にとことん侍るところから出発すべきだろう。私達の事業体が、世間が見ている御父様のイメージを左右するかも知れない。そうであるならどこのどんな事業体より為に生きている、社会に貢献していると、誰もが認め得る事業体にすべきではないのか。為に生きればこそ社会に貢献すればこそ金はだまってても回ってくるという絶対信仰を私達事業体を預かる兄弟は持つべきだと思う。自分はそう信じたい。
2007年3月22日木曜日
第二の清平(2)
私が清平でそうであったように、相対者もその受け入れがたい苦痛を最初は拒否し続ける。分刻みで与えられる多量の薬への嫌気、無理にでも与えようと強要するナースへの抵抗、抑えられない感情、と言う形で拒否感情を表に出している。そして私がそうであったように、苦痛の限界に至って始めて観念することを学習する。この苦痛を自分は受け入れざるを得ないこととして納得し、心を少しずつ許して受け入れていく。その心情変化を今か今かと待っていたように肉的癒しが始まる。押し込む度にそのつどもどしていた薬を身体が受け入れ始める。血圧が下がり始める。そして睡眠を切れ切れであっても取る事が出来るようになる。神と悪魔の混在した自分の魂から神なるものをふるいわけ、本来あるべき善なる魂として神が取る事が出来るようにされる。その為には神と悪魔をふるいわけるに必要な、心情感情の混沌状態路程を通過せざるを得ない。頑なな自分が打ち砕かれていく中でこそ神様は手を付けることが出来る。相対者は腎臓を悪くしてから何度かメスを入れている。毎週自分で腹に注射もしている。そして今回は腹を完全に上から下まで割かれている。それも一度ではない。インフェクションの心配があり一週間を置いて再度同じところにメスを入れられる。これほどまでに身体を傷つける運命であることを彼女が生を受けた時には既に決められていたのだろうか。そのために生まれたのだろうか。武士の家系だからさもありなんと言われても理解することは出来ない。生きているだけで感謝、おそらくそうなのだろう。しかしこの状況で晴れ晴れとした気持ちにはなれない。人間は納得する動物だ。意義付けてこそ受け入れることが出来る。自分の身に起こる事や起こる感情に対して、これはどう意味があるのかいつも根源の存在に問い続けている。
第二の清平
メリーランド大学のメディカルセンター、ここは私と相対者に取って場所を変えた清平だ。手術患者の待合広場で五時間以上待ちながら思わされたことはこの気付き。そして改めて周りを眺めると、確かに雰囲気というか空気に懐かしい匂いが感じられる。自分の霊性は開発されてはいないが何となく感じるということは良くあるし、魚とレストランに長く携わってきたせいか匂いにはとにかく敏感だ。危ない臭いがしたり、汚れた臭いがしたり、高貴な匂いや下賎な臭いがしたりする。ここ三次元では同じ時間と場所を共有している他の患者や患者の家族と、そして私と相対者の霊的時空は異なっている。明らかにここは私と相対者に取っての第二の清平だ。私が韓国清平の地で内的気付きと肉的癒しを得た段階を踏まえて、相対者がと言うより家庭として内的気付きと外的癒しの恩恵をここで受けている。この気付きを得た時、愛されていることを実感した。周りを観察すればあるものは家族のために祈り、あるものは慰め、そしてあるものは優しい視線で見渡し、視線が合うとクロスフィンガーで応えている。院内にはチャペルもある。そして数棟ある高層ビルに囲まれた中庭の天井には強化ガラスが張り巡らされていて、ビルを柱にした大聖堂の趣だ。それを上空に見る形で待合広場が中二階にある。間違いなく大母様興信様の送られた聖霊天使がここにはおり祝福先祖が集結している。ここで息子と娘とでチャペルを中心に祈りの巡礼を七回ほど持った。信仰的とはとてもいえないこの二人が、短い言葉ではあるけれど母の経過の良好を祈る声を耳にして、この家庭の再出発の機会を与えてくださった神様に対して、感謝の想いが暖かいものとなって胸に溢れてくる。
2007年3月21日水曜日
情報と情熱
数年前、東北地方を大きな台風が襲い農家に多大な被害を与えた。その時りんご農家の大半が落ちてしまった九割のりんごを見てため息をついた。しかしたった一人の農家のひとが木に残った一割のりんごに着目し、落ちないりんごという名前で受験生をターゲットに一個千円で売ることを思いついた。普通一個百円程度のりんごが十倍の値段で売れ被害を最小限に止める事が出来た。、、、、という話は今置かれている状況をどう認識するかといういい教訓だ。現実は現実として受け止める必要がある。しかしその現実をどう捉えるかという判断はひとりひとりに任されている。忘れてならないのはこの農家は被害の多大さの現実を嘆いてこのアイデアが出たわけではない。アイデアが出る前の段階で一割の残ったりんごへの愛着と感謝の思いがあったはずだ。この残ったいとおしいりんごをどうしようかというところからこの発想は出てくる。あるものに感謝する捉え方とないものを嘆く捉え方は一歩先の運命を変えていく。しかし断っておくことはポジティブにポジティブに生きろと言うことではない。では他の農家は馬鹿を見たということだろうか?そうは思わない。嘆くことや痛みを感じることで他の災害に逢った方々の気持ちがわかったかも知れない。明日の知れない人生の意味を考えようとしたかもしれない。要するに置かれた状況をどう捉えるか、で明日は変わったものとなっていく。要するに自分が明日の自分を舵取りしているということ。先月の日曜日朝から雪が降り出して昼過ぎには結構な積雪となった。従業員が店に行く支度をするころにも雪はまだ降り止まない。結局店を閉めることを決めた。しかしこれは私にとって大きな失敗だった。この決定の背後に経費削減の思いしかなく来てくれる客に対しての思いがなかったことだ。この雪でも来てくれる客の為に自分ひとりでも営業するという思いになぜならなかったのか、反省した。企業にしろ団体にしろその責任者の理念哲学が基礎となり柱となる。雪が降って客が数人しかいない状況を見て、やっぱり閉めるべきだったと嘆くのか雪なのに数人も来てくれたとその客に感謝のおもいを持つのかで明日の営業状態、客の反応が全く違ってくる。経営者としての熱意を維持させるために最も必要なのはあるものに対する感謝の気持ち。一店舗の繁盛店をつくるのに難しいビジネススキルは必要ない。お客様を愛する気持ちとあるものに感謝する気持ちがあれば入ってくるなといっても客は入ってくるようになる。立地の問題とか店の流行の事とか数字の煮詰め方とか確かに研究すべきことはたくさんあるが万端整えても必ず成功するとは言えない。情報は十分条件であり情熱は必要条件だ。
2007年3月15日木曜日
力の源泉
高校三年の二学期、同級の生徒は最後の追い込みをかけていたが、自分はどうやって親を説得しようかそればかり考えていた。安い下宿に一人住まいであったので、すでに何度かは教会に行って教会活動している兄弟達と寝泊りしていたこともあった。二年生の夏休みに三日修に参加し、三年の夏休みには七日修に参加した。そのあたりから子供の様子が変わってきたことは親も感づいてはいた。年に数えるしか会ってはいなかったが、会えばそれとなく教会の話もしたし、卒業したら教会に行くことも告げていた。しかし卒業が間近になってくるとさすがに重い空気が両方を覆ってきた。そしていよいよ荷物をまとめて教会に行くという時、親は下宿先に尋ねてきた。その時の事を思い出すと今でも涙が止まらない。ぼろアパートの四畳半、電気炬燵しかない部屋で父と母と私、三人ですわり、父は今まで尋ね続けたことをまた問う。(どうしてもいかにゃならんのか?)田舎の者は言葉数が少なく、それに対して私はうん、としか答えない。父はその返事が全てと捉えて、それ以上敢えて説得しようとはしない。後は沈黙が流れるだけだ。父はその場のどうすることも出来ない状況に堪えられなかったのだろう。世話になった下宿の大家との話があると言って父は腰を上げて出て行ってしまった。父が出て行くのを視線で見送って、母は田舎から持参してきた風呂敷包みをほどくと田舎で漬けた漬物を私にすすめた。勧められるままに一つ二つと口にする息子の顔を、母はしばらく見ていた。母の唇が震えているのを上目遣いに見て取って、ちゃんと説明すべきだと思った。しかし、直ぐ帰ってくるからと言い伝えるのが精一杯だった。母は何も言わずに湯のみを片付け、戸口の横にあるシンクに立って洗い始めた。と同時に嗚咽が始まった。最初は遠慮がちだったのが、どうにもこらえ切れずシンクに両手をかけてすすり泣く。何度か落ち着こうと洗い物を手にするらしいが、崩れ折れそうな小さい体を支えるのが精一杯のようだった。つらかった。震える母の背中を見続けるこの時が一番つらかった。でも乗り越える最初の峠と言う自覚があった。体を硬直させて堪えた。身動きしたら自分の心の方が崩れ折れそうだった。震える母の小さい背中にごめんごめんと唱え続けた。今の今まで、自分が救われたいと思って歩み続けた訳ではない。高邁な理想に夢を抱いて歩み続けたのでもない。神様の存在が確信できた時、自分は既に救われていた。のちどんな責め苦に会おうと甘受できるとその時は思った。ただただ苦しそうに死んでいった祖父を救いたかった。苦労の耐えない父や母を救いたかった。ただそれだけ。貧しくも病と苦労を背負い続けた、祖父と父と母の小さい魂を救いたかった。だからここまでこれた。この信仰背景の全くない私がだ。どんなに目標をたてようが決意しようが自分事にとどまるのであれば達成は出来ない。数字を与えられると走れる単純な存在ではない。ひとは為に生きる存在だ。為に生きることでしか力は出ない。愛を動機とする為に生きることでしか、私は生を繋げない。
2007年3月14日水曜日
愛と使命
為に生きる生、与える生というのは人間として本来持っている本能とも言っていい美しい性質だと思う。為に生きたい与えたいという想い行動が無意識に全ての想い行動の中に動機として含まれているはずだと思う。これは人間本来の欲求なのだ。為に生きずにはいられない与えずには居れない存在なのだ。そこに気づく時、先ず欠落してしまった自分のその性質を嘆く想いが持てないといけない。そして本来あるべき為に生きる与えると言う性質を取り戻したいと言う想いが持てないといけない。そして為に生きる自分、与える自分のあるべき姿を心に焼き付け、そのイメージにそって思考し行動することだ。少しでも為に生きた自分、与えた自分に対して感謝の念を抱き、自分自身に喜びを与えること。あせってはならないし大きく飛躍しようと思わない。全てにおいて段階がある。些細なことであっても与えた自分に対していとおしくも誇らしくも思ってあげる。犠牲的精神と大上段に構えてもそれほどの魂の器が今はないことは自分に問うてみればすぐわかる。大風呂敷を広げたところでそれはただの偽善だ。自分の魂の大きさ広さを感性ではかり受けたこと与えたことを通して大きくなっていく様を感じる生活をする。行動の一つ一つがそれは与えたいという愛を動機としているのか与えるべきだという使命を動機としているのか、今までの自分はどうだったか、御父様に向かう自分の想いの種類がそれを証明している。使命感で越える事が出来ない自分の限界を見たときそれを知らされる。
2007年3月12日月曜日
金回り
あの人は金回りがいいとかよく言う。金の流れとして捉えるといい。自分が金になったつもりで金がどう流れているのかを意識する。家庭で考えると何処から入ってきて何処に流れてどう出て行くのか、大体毎月の流れは一定している。おそらく無意識的に自分の意思を掛けることなく惰性的に流れている。流れを主管しているようで本当のところ主管していない。掛ける必要の無いところに流していたり投入すべきところに流入させない場合もある。どう使うかを考えるとき仕方なく使う或いは無意識に使う場合流し去っているということになる。水道の蛇口をひねってそのまま下水に流し込むのと同じだ。しかしこの金を何とか生かしたい、という意識が働くときその金は生きた金となる。けちと節約を混同している。表面的な行動は似ているようだがこれは似て非なるものだ。けちは良い流れをせき止める事であり、節約は悪い流れを止める事である。この違いが解ることが金を活かせる。金自体に価値を置く感覚があるがいくら貯めても手元にあるうちは価値はない。どう流すかどう使うかで初めて価値が発生する。使うことによってどういう価値を生ませたいのか、敢えて意識して使うことが大切だ。もう一点は収入に対する意識だ。収入を自分で固定してしまっている。時間は決められている。体も一つしかないから空間も決められている。だから物理的に言うと量はある程度決められている。受けるものを量として意識する場合その前提に仕事を量として捉えている。しかし受けるものを質として捉えると自分がどういう質の仕事をしたかという意識に変わる。そこの違いがわかり認識が変わると入力(入金)も変化する。質のいいところにその質に合わせてエネルギー(お金)は量を掛け合わせた分だけ流入してくる。E=MCの二乗はお金の原理公式でもあると私は断言する。自分の生命を投入し愛を投入した仕事をしていれば人も集まり金も集まるのは自然の道理である。笑うかもしれないがお金にも意識が宿っている。楽しい所に集まろうとし、愛のあるところに集まろうとする。将来自分はどうありたいのかどうしたいのか人生設計がブループリントとして出来上がってくるとそういう方向に金を使おうとするしそれに必要な金の流れを呼び込む。
堕落性本性
日本で言うアベルカインは御父様の意味するところと大きく違う、というのは前から聞いていたが、中心者とその下にある兄弟との関係の意味合いとして捉えられていたと思う。中心は絶対で兄弟は完全なる自己否定を要求されるというものだが、多かれ少なかれ、日本の組織のすべての上下関係でそういう状況はあった。上の位置にあるものとして多分に権威を笠にして、力で下を押さえつける。軍隊的組織では効を為すのかも知れないが、会社組織を含め殆どの組織でこのやり方は通用しなくなってくる。日本や数十年前の社会では有りなのかもしれないが今は反感を買って組織としての体をなさなくなる。店に於いてもシステム上、それぞれのデパートメントで中心的位置を立てるのだが、多くの兄弟はその位置への適応性を欠いている。旧日本的なその頭があるから采配したりオーダーを下したりする場合、自然と高圧的になってしまう。全てが命令調になってしまう。要するに頼み方が直線的で配慮するという感覚に欠けている。それを受け取る者は全く面白くない。そのうち皆が距離を置くようになり、位置は与えても四面楚歌状態だ。言っても誰も聞かないしついてこないから自分はその位置には立てませんと言いながら、自分に問題があるとははなから思わない。配慮ある言葉を使うこともそうだが、先ずその前に配下のひとりひとりと信頼関係を構築する必要がある。アフターファイブに一杯飲ますとまで行かなくても、店の中だけで十分信頼関係を作ることは出来る。何か作業をしていたら側に行って手伝うとか、頼みごとをして聞いてくれたら感謝の言葉を添えるとか、暇なときはパーソナルなことを言ったり聞いてあげたりするのもいいかも知れない。場合によっては上司に対する愚痴だっていい。とにかく自分はお前の味方だと思い込ませる。それは言い方が悪いが要するに愛する、為に生きるということだ。その信頼関係が出来ないうちに何を言おうが聞く耳もたずだ。その辺の人間味のある温かみのある接し方が不器用だ。愛の群れであったのがどこで方向を間違えたのだろうと思う。勿論自分にもその辺の弱みの認識はある。だから従業員の言葉は謙虚に聞くべきだと思う。責任者として従業員と接するとき、驕りの気持ちが隠れてないか言葉に相手を思いやる気持ちが添えられているか、確認しながら事に当たらないと、気を許すと堕落性本性や相手への無知が顔を出す。
2007年3月11日日曜日
不安という化け物
無知への不安ほど恐ろしいものは無かった。無知によって引き起こされることもそうではあるが、無知それ自体が、解らないことが恐怖そのものなのだ。ここで言う無知は本質的な事に関しての無知だ。小学校の高学年から中学生の頃まで、解らないことへの不安が嵩じ発作的にこころが爆発しそうだった。気を病んで狂って、何をしでかすのか私がどうなるのか解らない状態だった。それは死への不安が引き金だった。その当時病弱な祖父が寝たり起きたりの生活を送っていたが、小さいときから手を掛けてくれたこの祖父が心配でたまらなかった。病苦のためうずくまり唸っている気配を奥の部屋から感じるたびに、こころが苦しかった。苦労している姿しか見たことが無い祖父が、追い討ちを掛けるように病苦に堪えている姿を見て、人間としてこれほどまで痛めつけられ責められるのかと、生きるとはこういう事なのかと、やりようの無い想いだった。更に死への恐怖が被さり覆ってくる。自分は祖父のその痛みを自分の痛みとして捉えていた。神も仏も存在するとは到底思えなかったので、神様に問うてみると言う意識ははなから無かった。やり切れぬ想いや疑問が自分の中だけで堂々巡りを始める。生きるとはどういうことなのか、死とはどういうことなのか、解らないものとして割り切りたくてもどうしても納得できない自分がいる。死ぬことによって全ては無となるに違いない。しかし無とは何なのか無の意味がわからず自分は死ぬことはできない。しかし生きることの意味がわからず自分は生きることも出来ない。この無知に対する不安が更なる不安を呼び、恐怖の中に沈められて自分と言う存在が破壊する。すでに精神を深く病んでいたのかもしれない。親がこの状態を知ると心配を掛けると思ったので、そのそぶりも見せないようにした。病的な不安という発作(?)が出てくると外を走った。そこ等中を歩き回った。勉強に没頭した。とにかくその疑問と不安を意識から払いのけようと必死だった。しかしどんなことをしてもその疑問と不安は居座り続ける。唯一それが自分から払いのけることが出来たのは冬の雪の降る日だ。雪の降る日外に出て天を仰ぐと、降り注ぐ雪の中に佇んだ自分が天に吸い込まれていく感覚を味わう。この時だけ自分は解放された。だから冬を待ちわびた。雪の降る日を待ちわびた。そのひと時の安らぎの為に。今でも雪が降るとついつい外に出て天を仰ぐ。その当時の感覚が思い出される。広島の高校に通うようになり友達の紹介で教会の門をくぐるのだが原理は難解でそれほど理解してはいなかった。が自分は神様の存在の確信を得た。そしてこのみ言で自分の全ての疑問と不安が解けるという確信を得た。この出会いが自分にとっての実感的救いだった。今にして思うにその当時、あまりにも不安を増長させて憑依体質になっていたのだと思う。不安の化け物が自分の魂を占領していたのだ。祖父は死期に近付いた頃、気を病んで人を見れば笑い転げるようになった。そして堪えるだけ堪えて、生きることの意味を知らずに死んでいった。しかし今、その祖父は生きぬいたことの尊い意味を知らされた祝福先祖だ。
洗務
レストランの中で最も影の役割ではあるが非常に重要な位置がる。それは皿洗いだ。この洗い場の位置をマネージャーとしてどう捉えるか、そこを担当する従業員にどう接するかで店内での流れが決まる。洗務(皿洗い)は一般的に最も低い位置にある。自分は何の能力も技術も無い、生活の為にとりあえずと言う思いがあってこの職を選ぶ。洗務に限らずレストランで働く者の殆どの動機はそんなものであるが洗務は最たるものだ。だから従業員ひとりひとりが店内での自分の位置付けをする時彼を誰よりも下に置く。そして彼本人も自分が一番下だという意識がある。この位置付け意識を変えようとしてもできないし変える必要はない。あって当然だ。それを認めて接し方を考える必要がある。自分は洗務以下ではない、と言う意識が皆にあるから洗務の姿勢、態度、貢献意識など全てが全体の姿勢、態度、貢献意識の底上げとなる。マネージメントサイドで何も言わずとも洗務の仕事に対する取り組みが従業員のプレッシャーとなる。洗務の仕事内容への目配りも勿論大切ではあるが、そういう意味で彼への接し方が大変重要である。上から下に流れていく意識やエネルギーもあれば下から上に流れていく意識やエネルギーもある。大量の皿と格闘している洗務を見て、洗務に一生懸命接しているマネージャーを見て、あるいは詰まった下水を汚水をかぶりながら直している姿を見てより内的な本質的なエネルギーを得る。ここには底辺にも愛のエネルギーがあることを従業員は感じる。皿洗いはそれ自体単純作業だ。普通の人間なら直ぐ飽きる。飽きると雑になる。雑になると気分も雑になる。続かない。他の業務に比べてターンオーバーも激しい。だからマネージャーは少々の雑なところも目をつぶる。しかしそこが店にとってネックとなりうる。水漏れがあれば金が漏れていることを暗示しているように水を最も使う洗い場の担当が雑だと金も漏れ運勢も漏れる。成長するに仕事が複雑である必要はない。単純作業であればこそ内的により成長する、こともある。没頭することで瞑想に近い感覚を味わえる。最近トイレ掃除で心を磨くと言う本が人気を呼んでいるが、一つ一つの皿を綺麗にしていくことで自分の心も磨くことが出来る。洗務を真面目に続けている人間に悪い人はいない。マネージャーの仕事は仔細多岐にわたる。これで良しという線が引かれることは無い。ストレスを抱え込んで病む。しかし任せることが出来る内外の体制を造って任せることに拠ってマネージャーの余裕を造ることが必要だ。そうして店を表面的に捉えるだけでなく、より掘り進んで表面の下に流れるものを観察できるよう内的感性を磨く。洗務のその位置を意識することで店の中の流れが変わるかも知れない。ちょっとした事が元で店が傾くが、ちょっとした意識が売り上げを根底から変える起爆剤となる。
2007年3月8日木曜日
チップに対する考察
アメリカはチップの慣習がある。レストランもこのチップ故に成り立っている。しかしこれがたいそうなくせものだ。入国した当時はこれに馴染めず支払いのときいくらおいて置けばいいのか悩んだ。その当時は15%くらいが相場だと言われそれならその額分最初から請求すればいいものを何故、と言う思いがあった。店をマネージする立場にある今でもこのチップは頭を悩ませる。レストランでは給仕に対する評価という位置付けにあるが、余程の事がない限りは請求額に応じて換算され評価としての意味はあまりない。サーバーもその頭があるから支払いに対する%で一喜一憂しその客が良いか悪いかの判断をする。自分のサービスに対する評価とは思わない為内省することは先ずない。店側からすればチップ額に関係なく、客は売り上げに貢献する客である。この客はチップが低いと言ってサービスを疎かにされれば店としては困る。大盤振る舞いの客だけで営業できるはずはない。少々チップは低かろうが週に何度も足を運んでくれる客の方が店としては有難いし、チップの絶対量も実はこの客のほうが多かったりする。そこに目をやらず勝手に判断して対応を疎かにするから、結局入ろうとするものを拒む体制になってしまう。チップ制で店とサーバーの関係性も微妙なものとなる。チップのほうに意識はいくから店から収入を得ているというより客の頭数から収入を得ていると言う感覚が強い。俄然、店に対する忠誠心は薄くなる。店の為にという意識の欠如が店にとっては大きな痛手となる。寺や宮の参道軒下を拝借するテキヤ稼業と同じで参拝客を増やそうという殊勝な心がけの者はまずいない。客の入りを見て取ってたかるだけの存在である。レストランとして看板を掲げている以上サービスに重点を置かざるを得ないがそのサービス分野をこの連中が握っている。本当のところ、チップは全部店の収入として預かり他の従業員と同じく給与制にしたいのだが、他の大多数のレストランがチップ制にしている以上マネージメント側で孤軍奮闘しようがサーバーはついてこない。よほどいいサーバーを抱えているかサーバーがマネージャーなりオーナー本人であると言う店以外はこの課題はレストラン業にとって本質的課題だ。サーバーが然りなら客も然りで、チップを渡すとき恵んでやるという上から目線の意識が見え隠れする。サーバーや店に対して私と言う客にかしずけと言うあからさまな態度はチップ制ゆえの功罪だと私は思う。
2007年3月7日水曜日
罪の認識
ある代理店にいた頃の話だ。自分は営業の方はお手上げ状態だったので車の運転が仕事の殆どで、展示会ともなるとお客の送り迎えで一日中走りっぱなしだった。展示会は何度も行われたが忘れるに忘れられないと言うか、非常に心痛い展示会の事件がひとつある。その時の会場は急な石階段が二百を超える小高い丘の上にあった。他のいろんな会場もあたって見たようだが、結局不便なそこを取るしかなかったようだ。そこは稲荷神社の会館で、こんもりとした木立に囲まれていて市内とは思えないほどの静けさだった。その空間だけがこの世から隔絶されたような雰囲気で、その時の何とも不思議な感覚を覚えている。御社自体もそうだが会館も目が覚めるような朱塗りで、それに触発されたのか今までの展示会とは違うテンションを皆持っていた。悪く言うと浮き足立った感じである。社と会館でくの字に囲むその中央に、立派な庭園と池が配されている。その時の展示会はどういう訳か客の集まりがとにかく悪かった。昼過ぎても片手で数えるくらいだったと思う。事件が起きたのは私がその中の一人の客を隣町まで送っていく間の出来事で、その送った帰り、車を降りて石段をあがろうとした時上の方から一人の姉妹が形相を変えて転げるように降りて来た。それに続いて一人の兄弟が腕に子供を抱え、靴音をばたばた立てながら口を大きく開けて降りて来た。抱えていた子供の右腕が無造作に踊っていた。とてもどうしたのか聴けるような雰囲気ではなく、私に目もくれず車にその子を押し込むと、エンジンをふかして走り去った。自分は上まで急いで駆け上り、受付の広間に入って見ると皆は狐につままれたように黙って立ちすくんでいる。目立たないように隅の方に立っている兄弟のところにいき、初めてことのいきさつを聞いた。目をはなしたすきに一緒に連れて来ていた子が池で溺れたというのだ。その時はまだ、子の親は何も知らされず会場の中で商品のはなしを聴いていた。会場を離れる前の浮き足立っていた全体の雰囲気が一変して、奈落に落とされたような状況になっていた。親であるその客に、その旨を伝えなければならない。当時の責任者の心の重みは察して余りあるものがあった。その客を連れてきた姉妹がゆっくり見ることが出来るようにという配慮で、その子を預かることになったらしい。しかし次の客の手配やら事務処理やらで預かったことを完全に忘れてしまったのかどうなったのか、しかしもはやそれを尋ねる意味は無かった。誰かがそういえばあの子は、と口にした時にはその子が誰の視野からも暫く消えていたらしい。皆が大騒ぎになりながら建物のなかを探すがどこにも見当たらない。まさかという気持ちが皆にあったがそのまさかが現実のものとなる。池の端っこのほうに小さな身体を目にすることになる。病院に連れて行った時には殆ど困難な状態だったらしい。心拍だけは何とか取り留めたが意識は最後の最後まで戻らなかった。その事故から40日目にその子は短すぎる生を終える。その間、ある姉妹が親と子に付きっ切りで世話をしていた。その献身ぶり故に親としては気を静めざるを得なかったのだろうが、本当に悔やんでも悔やみ切れなかったはずだ。自分も若いうちは思い出すこともなかったが、子を持ってからは事在る事にそのことを思い出す。その痛みややり切れぬ想いはいかばかりだったか。その子の名を呼び続け、手にしていた玩具を涙なしには見れなかっただろうし、自分の命と引き換えに出来なかったのかと自分をも恨み、親故の無き子への想いを背負い、残された者の遠い道のりの一日一日はどれだけ長く感じただろうか。堪えられぬ感情を生涯抱き続けて癒されることはないのかも知れない。そこに少しでも想いをやるなら、子を持った立場で申し訳なくて申し訳なくて仕方がない。我々だけが苦労しているという意識は全く間違っている。それがみ旨に関して間接的では在ったとしても、我々以上にサタンと神との攻防戦の荒波に飲まれながら辛苦を味わわざるを得ない者たちの少なからずいることを忘れてはならない。我々の足りなさゆえに多くの犠牲を強いられている。そういう者たちこそ本来救いと祝福にあずかるべきなのだ。彼らを置いてさも当然で在るかのように祝宴の場に顔を出す我々は、神様の心情の一片も知らない恥知らずな連中に過ぎない。何とか機会を作って許しを乞う為にお会いしたいと思っている。このままにしておくのは本当の罪であり心情蹂躪ではないかと思う。
2007年3月4日日曜日
朝礼
朝礼は出来るだけ欠かさないようにしている。毎朝連絡事項もないし話すこともないと言うが最初は何もなくていい。集まって顔を見合わせるだけでも違う。従業員一人一人がここに存在すると言う確認が必要なのだ。以外と従業員は自分と自分のやるべきことだけに意識がいって他の従業員は景色ぐらいにしか意識していない。マネージャーを中心に皆が助け合い一つになってこの店が成り立っている、という全体意識が出来上がるためにも朝礼は欠かすことが出来ない。先ず習慣付けることが必要である。そのうち従業員は朝礼がある日とない日を比べて空気の違いを認識する。心地よい全体の緊張感を覚え従業員から率先して集まるようになる。マネージャーを中心に朝礼がなされることによって従業員皆が自然と聴く体制になる。今日も情けない英語で訓示を垂れた。多分に内的内容である。殆どの従業員は言っている意味がわからないと思う。今の時点で理解できようが出来まいがどちらでもいい。自分の立場で言うべきことを伝えたかどうかがより重要である。こういう感覚はTFが理解できない兄弟を前にして宣布されたり重要なみ言葉を語られるのと同じで広大無限な霊的背後に宣言する、といえば余りにも大げさで度が過ぎるがそんな感覚ではある。とにかくメッセージとして伝えること。相手が受け取るかどうかは次の問題だ。英語が全くわからないスパニッシュの従業員が意外と頷いたり神妙な顔をしている。何かは届いているのだ。
2007年3月3日土曜日
POS
今は殆どの店にPOSシステムは備えられている。私が担当している店も6年前に導入した。実は入れるかどうか相当悩んだ。その当時2万ドルを超える支出だ。とにかく入れてみようかというお試しの上限を超えている。どんなに説明を受けても費用対効果に照らし合わせられるだけの納得がいかない。入力する為には先ずオーダーを受ける時点で走り書きをする必要がある。それから端末に足を運んでそれを打ち込みキッチンに送る。チェックはプリントアウトして渡すだけだ。スピーディーで簡単なのを強調されるが慣れたサーバーだとオーダーを受けた時点でチェックは作り計算まで済ましている。キッチンとダイニングは客が声をかけるほど目と鼻の先だ。三枚刷りのコピーの一枚を渡せばそれでオーダーは入る。確かにスピードは速くなるどころか慣れないせいもあってもたついた。しかしPOSの利点の多さに気付くのにそう時間はかからなかった。手書きで請求書を書くのより信頼性がある。見やすいので客の確認時間が短い。計算間違いはない。落とし忘れが減る。それらが利点として挙げられるが一番店に貢献できたことはプライスの変更が簡単であることだ。手書きだとプライスが変わる事にサーバーが常に意識していないと忘れるし慣れていた計算もややこしくなる。これが大きなマイナス要因となりプライスアップを躊躇させる。POSだとこの心配がないのでプライス変更の機会も増えたしメニューの付けたし削減も簡単だ。何といっても利幅への貢献が一番の利点である。最近、チップのシェアを表計算を使ってやっている。集めたチップを頭割りにしていたのだが、どんなに頑張ってもまたどんなに適当なサーブをしても貰うものは同じとなると共産主義だ。やる気など起こらないし、いいサーバーはすぐ出て行く。しかしテーブル制にするほど大きい店ではないし、もし自分のテーブル担当以外の客が声をかけた場合なおざりになる危険のほうが大きい。そこでこの表計算を使うことにした。チップ合計の半分は完全に頭割りにするのだが後の半分はそれぞれのサーバーのセールスに対する歩合、チップ合計に対する歩合、パーフォーマンス(チップ/セールスの%)に対する歩合をトータルに評価して差をつける。これはキャッシュチップを誤魔化さない効果もあり私としては上出来だと思った。この計算を電卓でやるとなると毎晩午前様になるが表計算だとクリックひとつで事足りる。簡単なプログラムでできサービス向上に一躍買っている。導入時はサーバーも乗り気ではなかったが頑張れば数字にでてくるので喜んでいる。
2007年3月2日金曜日
天地自由人
貧乏暇なしと言う言葉がある。毎日毎日生活の為朝から晩まで働いているので時間もなければ金もない、と言った意味合いだろうか。ああ本当にそうだ、と感じる人は限りある貴重な人生の日々をどぶに捨てている。その事に先ず気付く必要がある。生活することそれ自体が目的ではない。勿論食べる為に生きているのでもない。そのあたりの感覚はあるし自分は違うと否定すると思うが現実そう成下がっている。毎日のスケジュールをこなすことで満足している。これではいけないと最初は思う。しかし周りからそれに対して非難を受けることはない。家族だって何も言わないだろう。そうなると自分を許してしまう。そのうちこれでいいんだ、と自分を納得させる。成長することへの願望や自分を見つめる感性が失われていく。スケジュールをこなすだけの機械人間はそのうち機械に取って代わられ、ゴミになる。貧乏だから暇がないのではない、暇がないから貧乏なのだ。暇というと語弊があるが余裕といえばいい。働く以上は時間に拘束されるというのに余裕など持てるか、そうではない。その発想自体が完璧に拘束された人の発想なのだ。どんな事情圏環境圏であれそこで学ぶことは山ほどある。為に生きることもできる。接するもの全てを愛することもできる。如何なる行動も思考も価値創造の手段となる。今自分が立っている外的位置、内的位置を起点として左右上下前後全方向に無限大の可能性が隠されている。その認識を得ないと事情と環境は自分の檻としかならない。自由の意味、余裕のある無しの意味はその認識を得て初めて理解できる。条件を立てる、しかし条件を立てること自体が目的ではない。祈る、信仰的といわれる言葉の羅列が祈ることの意味ではない。教会に行けと言われる、しかし教会に行っていればいいと言うものでもない。献金する、要求され皆もやっているから献金する、そこに神様の為にという想いが込められずに何の意味があるのか。我々の全ての行い全ての思考に自由も余裕もない。事情と環境に振り回されているだけのことだ。真の父母に近い立場の我々が本当は最も遠い存在である可能性もないとはいえない。信仰観念が固定されてしまって見る目聴く耳を持たない。目と耳がない不自由な人間なのだ。時間的余裕が本当に必要であると思うなら時間に拘束されない仕事を選べばいい。何の職につこうが生活を支えることを一義的にしてしまうとそれ以上の意味は見出せない。最初はそうであったとしてもその社会的行動が魂との関わりとして次元を高めていけるように、高める為には自分を深める必要がある。仕事を通して祝福家庭の本分を発揮する、ぐらいの気概は持つべきだ。そういう意識と意思を持つことによって初めて自由人となる。
2007年2月28日水曜日
40修
ブラインドを通して明るい日差しが室内を暖める。この冬は暖冬かと思いきや、先月の半ばから一変して、清平の冬を思い起こさせる日々が続いてきたが二月も今日で最後、春の訪れは三月の声とともにやってくる。私が参加した清平40修はアメリカの責任者用としては最初のもので冬真っ只中で行われた。16時間のフライトから空港でバスに乗り換え更に数時間を掛ける。短い冬の日、暮れかけたころあいにアメリカの兄弟を乗せたバスはその地に着いた。人里離れた山あいを走るころにはさすがのアメリカンも不安の為か口を閉ざしていた。バスから降り立つと皆の顔が更に強張る。容赦ない湿った雪まじりの寒風が氷に覆われた湖の方から吹き付ける。揺れる裸電球の下を、うつむき加減に兄弟たちが足早にうごめいている。今まで味わったことのないこの空気を理解しようとするが、なんとも異様な別世界であることには違いない。乗り合わせた兄弟と顔を見合わせ、意味もなく無言で頷くしかない。どよめく祈祷、太鼓の鈍い音、山肌に並ぶ天幕の数々、東洋人の自分ですらいかがわしさを覚える。西洋の兄弟はなんと不安だったろう。そんな状態だから集中できるようになるまで丸一日を要したが、人間は慣れるものだということが解った。そして事は六日目の最後のセッションの後起こった。動悸の発作が起こり止まらない。今までもしょっちゅう動悸はしていた。大きいのになると胸が苦しくなる。脂汗が垂れる。うずくまる。しかし10分もすれば落ち着いていた。しかし今回は止まる気配がない。30分経った頃嫌な予感を感じた。そして大母様のおられる宿舎の戸を叩いた。苦しさの為というよりは死が胸をよぎりそこら辺で倒れる前に一声報告しておかないと大母様に迷惑がかかると言う思いがあった。状況を説明するとその場で横になり大母様と助手の方おふたりで按手をして頂いた。不思議とその時、動悸は一瞬にして収まったがしばらく為されるがままにされていた。その間は申し訳なくて身が縮む思いだった。丁重にお礼を申し上げ宿舎を後にした。ととたん嘘のように消えていた動悸がまた始まった。一瞬立ち止まったが踵を返す気持ちはなかった。自分で甘受すべきものとの意識があった。かろうじて自分のテントまで歩き足を踏み入れると皆は泥のように寝入っている。立って居場所を探すも苦しく這いずって自分の持ち物のある場所まで辿り着いた。動悸はいっそう激しさを増す。皆休んでいるのに申し訳ないと思いながらも、唸りとも喘ぎとも何とも言えない呻きを押さえることが出来ない。横になるも余計に苦しく猫背で座っているしかない。うるさいと言うようなサインが端々から送られてきたがどうしようもない。見るに見かねた一人の兄弟がずっと背をさすってくれた。苦しいながらも有難かった。この兄弟の為に何が出来るか気が遠くなりながら考えていた。しかし動悸は一向に治まらない。ここが自分の終の場所ですかと天に尋ね続けた。霊界に最も近い場所が自分の霊界への入り口なんだと自嘲のおもいがわいた。御心のままにと言う意思が固まった最後のもがきが襲ったとき事態は一変する。腹の中に殆ど水しかなかったが全てをもどした。と同時にどす黒い気体のようなものが口から出た。暗がりの中なので見れるはずもないがそう感じた。動悸は一瞬にして治まり身体はうそのように軽くなる。新しい生命要素が地から上から満たされて活力を得る。自分は生まれ変わったという喜びと感動に包まれた。時計に目をやる余裕を得、その時丁度五時をさしていた。その後の路程は本当に楽だった。日を追うごとに弱っていく兄弟とは反対だった。七日断食もうそのように快適で自分は新生させていただいたと言う喜びでいっぱいだった。それまで二年近くも続いていた血尿もピタッとやんだ。頂いた恵みに対して感謝の想いは勿論在るが、信仰もない条件もない自分がどうしてこれほどまでという疑問のほうが今でも大きい。しかし良き証しとしてこれで終わるわけではない。肉体的に癒されたのには意味がある。それは感謝すべき恵みに違いないが、魂の願う事柄は別にある。癒されたこの身体で様々なる感情の渦に放りこまれる。これが出発点だったのだ。それぞれの兄弟で状況も環境も違うとは思うが絵に描いたような祝福家庭や生活はないと思う。こんなはずじゃない、と言う所からが出発だ。私の立場では、自分が病で悶々とする以上の試練を相対の病を通して味わい子供を通して味わう。天国と平安は同義語ではない。生を通して味わう様々な苦しいほどの感情を媒介としながら自分と天との心情の共通点をいとおしい要素として自分の中に見出したとき、それは自分と神様の関係だけの愛の宝物となる。感情の混沌のなかに浮かぶ飛行船のかたちで、あるいは感情の荒波のなかにそっと浮かぶ小船のかたちで天に通ずる心情は隠されている。この世の人間にとって地獄の様相を見せれば見せるほどに天に通ずる心情の要素をより探し出すことが出来る。清平は天国に最も近い。
アセンション (次元上昇)
この世界で生きている以上、時間軸を無視することは出来ない。何にも左右されず規則正しく流れているように見える。しかし時間は流れているのではなく、その距離を縮めながらある一点に向かっているのだ。そして目的のその時は必ず来る。その時宇宙は大変革を遂げる。数え切れぬ星々を巻き込み地上界天上界を巻き込み時間軸空間軸を巻き込み宇宙は変容する。それが神様の摂理であり捉えようによれば天地創造の真の完成を意味する。そして最後でありまた最初であるその時は真の完成の為に引導を采配する真の父母が絶対的に必要であるのだ。み言葉に全ては記されているのだが我々の器と測りで、捉えはかろうとしても無理がある。霊性に目覚めない限り真の父母の絶対的価値は認識できない。み言葉の真の意味は理解できない。時が迫るに従い数を増してきた宣誓式宣布式、全てがその時を迎える為のなくてはならない布石であり采配である。そしてそれらは象徴的な内容ではなく具体的なる行動が伴うのだ。宇宙的次元で手を加えられる。そしてその時がどのような時か。自分には解らない。想像を超える事態が発生することは明らかだが自分には解らない。今の時が仏教的に言えば弥勒菩薩の現われる時でありキリスト教的に言えば再臨の時であり精神世界的に言えばアセンションの時である。そしてそれら全ては真の父母の到来を意味する。来るべき時とは霊的な内容であるとの認識を多くの兄弟は持っている。しかし物理的なもの霊的なものは密接な関係にあるという以上に表裏一体である。あの世で起こることはこの世で起こり、この世で起こることはあの世で起こる。既に起こりつつあるのだが如何せん霊的感性の鈍い我々は認識できない。しかし臨界点に近づき始めると霊性のそれなりに強い人から、ただ事ではないことを認識し始める。経済システムを含むあらゆる人為的システムは意味を為さない。それらは既に悪によって汚染されたシステムだ。物の流れに金の流れに人の流れに悪なる霊的要素が含まれている。物と人の怨念でヘドが出るほどに地球は悪なる要素を抱えている。怨念霊と我欲で肥え太った人間は相当の覚悟をしないとこの時を迎えることは出来ない。今でこそ金銭は仲介物としての価値として天は認めている。如何に使うかで功を天に積むことは今なら出来る。しかしどれほど財を成そうが来るべきその時、すべては無価値であるどころか供えることが出来なかった恨みを代々残すことになる。そこを心配しての親心の表れが献金摂理、清平摂理であることを理解するなら供えることがどれほど感謝であるか。地獄も金次第というその口に忌まわしい物欲霊が取りつく。飛ぶ鳥に習い羽ばたく蝶に習い肉を削り身を軽くして大移動に望む。
2007年2月25日日曜日
ポイント制
一時、店でボーナスカードシステムを導入してみた。客の消費額に対してのポイント制である。ある一定額まで貯まるとそれに見合った割引や商品に交換するというものだ。システム機はそう安くも無かったが、実は一月も経たずにやめた。プラス要因よりはマイナス要因のほうがはるかに大きかったからだ。ポイント制はひとつの囲い込み戦略である。客の少しでも得をしたいというスケベ心を刺激してこの店への選択率を大きくする。そして他店への足をこちらの店に向ける。あるいは来店回数を増やす。開店当初の店であるなら客の動機付けとしてある程度意味を為すが常連客が五割を超えている状況では反って逆効果だ。今の常連客は安いから足を運んでいるのではないし、店として安さを売りにして客を呼び寄せているのでもない。商品、サービス、雰囲気それらをトータル的に客は判断して価値を認めこの店の暖簾をくぐる。しかしポイント制に客の意識を向けると来店動機をくるわせてしまう。おいしいから来てた客が或いはうちのサービスが好きで来てた客がその意識をポイント制というスケベ心にすりかえてしまう。客の頭の中にこのポイント制が組み込まれてしまうと、もう今までの客とは明らかに違う。店は雰囲気が重要な意味をなす。雰囲気のなかでもどういう種類の客が店の空間を満たしているかというのは更に重要な意味をなす。こぎれいな高級ファッションで身を包んだ客が多ければ客もそれに合わせようとする。安物漁りの客が多ければその類の客が増えていく。ポイント制が頭に組み込まれた客が多くなってくるとディール意識の強い値に厳しい客の雰囲気となり店のクラスは下がっていく。クラスを一度下げると元に戻すのは不可能に近い。売り上げが苦しくなるとバッフェスタイルに変える店があるが、売り上げが持ち直してもバッフェを止めるわけにはいかない。値打ち感で来ている客をサービスで来る客として宗旨変えを迫るわけにいかない。値は下げるものではなく上げるものである。値を下げることは価値を下げることを意味する。どうやって商品価値をあげるか、どうやってサービス価値をあげるかそういうアイデアが自分の知恵からはもう絞れないと白旗を上げる時、最後の最後の手段として閉店覚悟でやるのが値落としだ。ポイントシステムの機器だが一時眠ってはいたが今はギフトカード機として大きな働きをしている。ギフトサ-ティフィケットだと使用額によっては返金する必要があるがカードだと残った金額分は次回来店の折に使って頂ける。
感謝の意識
信仰生活は感謝の生活だという。しかし本当に感謝の生活を送っているだろうか。感謝すべき立場だとは思っているが感謝はしていない。信仰的に捉えるべきだと思っているが思っているだけでそれは信仰ではない。それでは如何にして感謝の想いを抱いて生活することが出来るか。日々の生活の中で毎日が全く同じように流れているという感覚は先天的感覚で、本来は毎日が全く違う一日であり数え切れないほどの恵みと喜びと感動を用意されているという感覚が自然に自分の中に見出されるはずだ。事実、多くの恵みや喜びが用意されているのだ。ただそれを実感できる感覚をもっていない、と言うより自分の感覚がそのようなものだという決め込みをしているから、敢えて恵みや喜びの要素を払いのけていると言ってもいい。毎日はこういうもの、自分の人生はこういうものと言う自分の主観でしか生きていない。そこでもう一度はじめの質問を考えてみる。如何にして感謝の想いを抱いて生活することが出来るか。それは感謝すべき事柄がどこにあるのか。一日の生活の中で意識的に探しながら生活する。生活はこういうものという、主観で動く無意識生活を決別して一瞬一瞬の恵みを数える意識生活に入る。全ての行動に愛の気持ちの念を植えつけて行動し、受けるもの受ける感情の中にどのような恵みが閉じ込められて届くのか全霊を研ぎ澄まして感じ取る。そういう生き方を選ぶとき自然と本質的存在の神様に対して有難い想いが自分の中に育っていく。それは自分の存在と周りに対する感じ方を根底から変えていく。今まで事在る事に従業員に対して日記なり雑記長なり毎日の出来事や学んだこと感じたことを書き出すことを奨励してきたが、あまりやっているようには見えない。書き出すことによって自分の内面が映し出され内的にどういう状況にあるか確認できる。最初はなんだっていい。書き出すことによって意識的にならざるを得ない。二度とない一日一日が過ぎ去って行くのに一年を振り返り十年を振り返り内なる魂の愛の分量が増えるのを確認できず、今までの歩みは何だったんだろうと隙間風が吹くようでは祝福を戴いた立場としてあまりにも寂しい、あまりにも申し訳ない。
2007年2月22日木曜日
メニューについて考える
メニューが多いほど顧客満足度を高めることが出来る、と考えるのは顧客の心理がわからない者の発想である。うちのフロアマネージャーも今でこそ私の考えることが理解できるようだが、しばらく前まで (今日も客がフライドライスはないのかと聞いてきたからフライドライスをメニューに入れるべきだ。)(日本人がくると必ずラーメンがあるか聞いてくる。ラーメンをメニューに入れよう。)事在る事にこんな感じだ。入ってきた客をひとりたりとも逃したくない、という気持ちはわからないではないがあれもこれもという下心は客には見え見えなのである。何でもありの店は山ほどある。たいていのチャイニーズ、韓国レストランは寿司バーを導入している。良くその手の店に行って見るが寿司バーが満席なのを見たためしがない。それどころか入っている寿司職人はたいてい手持ち無沙汰である。何でもありの店は客にとって何の思い入れもない特徴のない店、魅力のない店と映る。現実問題としてメニュー量を増やせば増えた分だけ集中力も分散される。日本でこのラーメン一本に賭けているという大将の思い入れの強い店がメニューが三品限りというのと同じで少ないほどいい。飲食店は掃いて捨てるほどあるのだから専門性がなくコンセプトを伝えられない店は生き残れない。コンセプトをメニューで表現しようとすればラインを広げずアイテムを深くする方向性に持っていくべきである。ラインとは例えば日本食でいうとすし、照り焼き、てんぷら、なべもの、麺といった区分けであり、アイテムの深さとなると寿司でいうと握りであるとかチラシであるとか巻きであるとかさらにいろんな巻きを追及していくとかということになる。うちの店にはラインとして寿司もあれば照り焼きもありさらにてんぷらすき焼きまである。はっきりいって多すぎる。ラインの幅が広いとそれに応じて従業員も増やす必要がある。20年以上もこのラインで営業していると変えることは出来ない。さらに多数客の日本レストランの位置づけが寿司、てんぷら、照り焼きなので、もし寿司だけに絞るとなると多数客の認識からずれてしまい寿司だけの店という新しいマーケットの開拓となる。日本と違いそこまでマーケットが成長しているとは思わない。とにかく周りに影響されて安易に増やしたり減らしたりするのではなく、メニューひとつひとつに思い入れが感じられるような内容にすべきだ。同じものでも器の選び方、盛り付け方、提供の仕方などによって全く違う印象を客は受ける。客の前に提供されたとき感動を覚えるか(愛を感じるか)、最初に口にしたとき客はうなづくか(愛を感じるか)、それがメニュー作成のあるべき姿勢だ。
2007年2月21日水曜日
ハンドルのあそびに学ぶ
ある年、氏族復帰の摂理でそれまでレストランに携わっていた多くの兄弟が国に帰ってしまった。50席に満たない小さな店を担当していたが、このしわ寄せは大きかった。ホールを除いて4人でプロダクトをこなしていたのが半分になる。募集しても誰もアプライしない。とりあえず身重の相対を使うしか方策はなかった。私がスシ担当、彼女がキッチン担当だ。臨月に入るとさすがに苦しそうで助っ人を上に懇願した。結局、生まれる一週間前まで一人でキッチンをやらせたことになる。小さな店だからと最初はたかをくくっていた。人件費がセーブできてかえっていい、ぐらいにしか思わなかった。しかしこなす量は別として仕事のプロセス量は大きい店も小さい店も変わりない。一日二日ぐらいなら何とでも出来るがこれを継続するというのは自分にも従業員にも店にも客にも無理を強いる。そしてこれが祟って自分は背中を痛めることになった。さらに従業員も仕事の多さと追いつかない準備で切れ始める。何事にも余裕というものは必要である。性も根も使い果たして明日への望みも余力も残っていないというのは責任ある者の状態ではない。特に従業員の仕事に対する余裕、時間に対する余裕、気持ちに対する余裕、(そして出来ればお金に対する余裕)は必要だ。ちょっと多いかなぐらいで丁度いい。全てにおいての余裕が売り上げ増しの期待に変わる。余裕が次なる発展の投資になる。
2007年2月20日火曜日
物に対する意識
収入をどうやって増やそうかを考える以上にどういうふうに支出するかの方がある意味より重要だ。仕事技能が高まってくるに従い収入が段々と増えてくる。そして収入に応じて使い方(支出)もより複雑になってゆく。その過程を通していかにマネージするかを学習する。しかしこのプロセスを略してある日突然急に収入が増えたとしても何にどう使えばいいか解らない。使い下手は経営(やり繰り)下手だ。貧乏人が急に宝くじに当り大金を手にするのと似ている。使い方の感覚が解らなくて三年も経たずに全部すってしまう。挙句に浪費癖が直らず借金地獄にはまる事になる。使い方によってお金(万物)が生きたり死んだり凶器になったりする。扶養制から給料制になった兄弟もこの傾向が強い。要するにやり繰りがまずいのだ。我が家もそうだが、もったいないという思いが強すぎて物を捨てられない兄弟が多い。家であれ部屋であれ空間は限られている。その空間をどう使うかなのだ。当の本人にすれば自分の手に一度は入ったものだからという執着がある。しかしその物自体が価値あるものとの見方は間違っている。使われて初めて価値が出てくるのであり、一年を通して一度出して見るか見ないかの物は当人にとっては殆ど無価値に等しい。捨てるのはもったいないというが私にすれば限られた使える空間をその物によって占領され無駄にしているほうが余程もったいない。使わない物、自分の意識の外にある物というのは滞ったエネルギーである。それ自体が息をしていない。早く処分して次なる物に変化させてあげたほうがその物の為でもある。人が住まなくなった家は三年も経たないうちに廃墟になるのと同じことだ。使わない物は死ぬ。自分がハンドルできる物と意識をかけることができる物だけにしたほうがいい。そういう物たちは活き活きしている。死んだ物で埋め尽くしていると新しい物が入ってくる余地はなく空気も霊気もよどんでくる。よって新しい運勢は回ってこない。
2007年2月16日金曜日
軍隊とヤクザ
高校を卒業する頃には教会に転がり込んでいた。だから信仰歴と俗に言われるものは長い。信仰歴と信仰深さは別だ。逆に長いほど信仰的ではなくなる、場合が多い。当時の純粋さを培養しながら今を迎えていればとも思うが、ある意味回り道したように見えるその心情の道のりが必要であったのだと思う。いろんな経験をさせていただいた。結構長い間籍を置いていたのがFと呼ばれる責任分担。その前後にも同じようなことは毎日のようにやっていたが、その三年余りの期間は集中してやっていた。実は集中してやっていたのは周りの兄弟で決意だ路程だと言われれば自分は醒めてしまう。というか圧倒されて怖気づいてしまう。特にK兄弟のもとでやっていた時は軍隊そのもので時代錯誤も甚だしく、その空間は完全にタイムスリップだ。何度罵声を浴びせられビンタを喰わされ尻をバットで叩かれたことか、あげくに他のメンバーが朝食をとっている間外に出され、朝もやのかかる住宅地のど真ん中で声の限りに叫ばされる。「(自分の名前)の馬鹿野郎!」何度も何度もだ。馬鹿になることと自己否定とは違うと思うのだが。その期間が自分にとってどう言う意味があったのかよくわからない。しかしその兄弟はそういった態度や行動を愛のひとつのかたちと捉えていたのだろう。活動自体あるいは(万物)復帰した結果そのものが条件であり価値があるという信仰観念が全体的にあった。だからどんな手段を取ってでもという思いがあったのだろう。自分はついていけなかった、しかし背を向けることも出来なかった。落ちこぼれれば祝福にありつけない。祝福願望のためひたすらしがみ付いていた。この人は善だこの人は悪だと決め付けることは出来ない。行動それ自体も善か悪かなど判断できない。同じ行動でも動機が善なら善としてのエネルギーが作り出され、動機が悪であればマイナスエネルギーが作り出される。兄弟がとった行動にも善としてのエネルギーが内包されている。受ける側が好きだ嫌いだ、善だ悪だと決め付けてしまうとその善としてのエネルギー(=愛)を受け取ることは出来ない。過ぎてみれば全て愛であった、と言う基準には自分の歩みは程遠い。Fの次にインパクトのあった責任分担は水産だ。軍隊生活をやっとおさらばしたと思ったら少し間を於いて今度はヤクザな道を歩むことになる。責任者はその筋の経験あり、という先輩だったからFとは別の意味で怖い思いをした。K兄弟の場合軍隊ごっこという感があったが、この先輩はどっぷり浸かっていただけあって半端じゃなかった。彼を中心にいつも張り詰めた緊張感でギシギシしていた。身体全体から滲み出る威圧感で体がこわばる。何か注意事を口にする前、一瞬の間があるのだが正に蛇に睨まれた蛙状態でその目力には特別のものがる。その先輩にとって任侠道そのものが信仰なのだ。いつもおどおどしていたがある日曜日、みんなでソフトボールをしたときその中心者を見る目が変わった。それなりに皆楽しんでいた。私はその先輩と同じチームだ。ある回、守りについた自分のところに打ったボールが飛んできた。それまで接戦状態だったのでこれがどうなるか皆が注目するなか、高く上げたグローブをすり抜け顔面に直接当たってしまった。強烈な痛みがその直後襲ったがそれよりそのドジに対する先輩の責めが怖かった。他のみんなもそれを予期していたと思う。みんな顔色を伺っていた。一瞬シンとはなったが先輩はそれを見て大声で笑い始めた。それに連れてみんなも笑い始めた。顔で受けるな。とか言いながらしばらく笑っていた。その回が終わるとき笑いながらお前大丈夫か?と一言やさしい笑顔で聞いてくれた。その時この先輩は本当に純粋なんだと思った。思いがけないやさしさだったのでそう思えたのかもしれない。でもこの人と共に歩んだらFの心情圏に入っていけるかも知れないと思った。他の中心者でこんな気持ちになったことはない。愛の群れの中にいて愛を見たことは他にない。人事になってからもその先輩のいろんな噂話を耳にすると他の兄弟が聞けば引いてしまうような話を、相変わらず熱い信仰を生きているなあとうれしく思う。
2007年2月15日木曜日
予知夢
小学校の四年生頃だったと思う。衝撃的な夢を二つ見た。普通の夢だと朝起きたときはおぼろげに覚えていたとしても朝飯を食う頃にはたいてい忘れている。しかしこの夢は三日三晩夢なのか現実なのか考えあぐねるほどに鮮明に脳裏に残った。五十を超えようとする今でもはっきり覚えている。ひとつはこの世界が生まれ変わったように全ての存在がキラキラ眩しく輝いている風景のなかでたたずんでいる。空の蒼さは喩えようもないほどに美しくどこか見通しのいい広場のような所にいるのだが、どういう訳かズボンを腰のほうまで捲り上げた状態で何かを整理しているようにも見える。腑に落ちないのは膝上あたりまで水に浸かっていて見渡すと地平一面水に浸かり、家や建物が壊されたような木切れが相当量水面に浮かんでいるのだ。水もキラキラと輝き水面を見ているだけで深い安らぎを覚える。まだ子供であったけれどもこの夢には未来に対する予知であることがはっきり解った。今ひとつは先の夢とは真反対の恐ろしい夢だ。星ひとつなく光のかけらもない暗黒の中で天を見上げている。闇に覆われた山々の裾野から宇宙船らしきものがゆっくりと姿を現してくる。いくつもの窓らしきものの中から光がもれその宇宙船の全体像が解るのだが、ちょうど未知との遭遇で見たようなとてつもない大きさの宇宙船だ。しかも一台に留まらずあらゆる形をした宇宙船がゆっくりではあるけれど次々と姿を現し、最終的に大空を埋め尽くすほどの船が現れてじっとしている。空の遥か彼方という風ではなく地上から差ほど高くない位置で窓の中の様子が見えるくらいの状況だ。このブログで哲学オタクのようなセンテンスを並べて来た。そしてここに至ってはやはりこの人間とは距離を置くべきだと思われるかもしれないが本当の話だ。朝目覚めても言いようのない恐怖が残り、それこそ三日三晩おびえ続けた。最近精神世界の話や2012年問題に関心があるのだがそれに関するあるサイトで偶然この夢の夢解きが出来た。というか夢そのものが実現するということがわかった。TPが2013年までに摂理を終えるという話が出て初めて、2012年問題が私にとって意味あるものとなったのだが 2012年12月22日天文学に秀でていたマヤ文明のマヤ暦はこの日を最後の日としている。暦はこの日を最後に終わっている。この日を境に過去の地球は新しい新生地球として出発する。しかしこの生まれ変わる前の三日間地球は完全なる暗闇に三日三晩覆われる。この間エネルギーと名のつくものは全て停止し車だろうが電気だろうが全く動作せず人類は完全なる暗黒の静けさの中で生き抜くことになる。そしてこの期間に登場するのが天空を覆う宇宙船の群れである。私はこの記述を目にしたときこれだ!と思った。そしてその宇宙船から人類に対してある指示がなされるというのだ。人類皆がその指示を受けたことを確認してその宇宙船軍団は何もなかったようにすっと消え去る。そしてまた普通の状態に世界はもどるのだかここで人類は二つに分かれる。この指示に従いある場所に移動する群れと、経験した内容は皆が団体的幻覚状態で現にまた普通の生活に戻ったということで指示に従わない群れに分かれるというのだ。この2012年問題は宇宙変革、地球変革、人類変革に関する様々な起こりうる内容を忠告している。検索してもいろいろ出てくるし、そのうちこのブログでも触れたいと思うがTPの言及した内容、ありとあらゆる儀式と宣布式、がこの問題とリンクしているように思われ非常におもしろい。
2007年2月14日水曜日
言葉に対する認識
食口は表面的にはもっともTPに近い立場ではある。しかしどれだけ内的に近いかとなると、TP の存在が自分の魂、意識、心情のありようにどう関わっているかだと思う。TPの存在を知らないか認めていない人は表面的に認知していないだけで、そういう人の中にも魂に直結している存在にたいして認め非常に従順な人もたくさんいる。いまだTPを認めていないだけで魂、意識、心情のありようは食口よりTPに近いと言えないか。み言を知っていると食口は言う。しかしみ言をなぞらえて行く時、その言葉言葉の意味するところがTPのそれと同じと言えるだろうか。ひとつの言葉の意味の捉え方も私とあなたとは違う。み言を訓読するとき自分で理解している言葉としてなぞらえていくとき、それはみ言を理解しようとはしていない。み言の言葉の背後に流れる神様の意思と心情を意識的にとらえようとするとき、み言を理解しようとしていると言える。神様を信じる、と言うとき神様の意味がわかっていないし信じるという言葉の本当の意味がわかっていない。自分の勝手に理解した言葉をつかって理解しようとしても無理なのだ。訓読するとき言葉で理解するのではなく意思を感じ心情を感じたときみ言に初めて歩みよろうとしている。
価値をどこに見るか
今を生きると言う意識は重要である。今日の歩みを一歩踏み出すことで未来は出現する。今日の歩みを一歩踏み出すことで過去の実績が生きる。今日の歩みに過去の記憶も未来の構想も含まれる。今この瞬間に為に生きてこそ生きる実感があり生きる意味がある。レストランビジネスは経験積み上げ形のビジネスである。マニュアルが役にたたないとは言わないが相手に喜びを与え安らぎを感じさせハッピーな気持ちで送り届けるのに他人が書いたマニュアルなど参考程度にしかならない。商売道具は自分の人格であり、客をどれだけ思いやるかによって客はこの店はいいとか悪いとか判断する。どれだけ人を気遣う心、愛の心が大きいかで従業員の良し悪しは判断され、そのトータルな従業員の愛の大きさが店の強さとなる。愛は為に生きる実践を通して大きくなる。したがってレストランビジネスは経験積み上げ形ビジネスである。このコンセプトを従業員はなかなか理解しない。開店当時の店に取ってひとりひとりの客がどれだけありがたいか、殆どが中途で採用になって今にいたる従業員はその感覚がわからない。客は自然に入って来るものと思っている。客が数あるレストランの中からこの店に来ることを選んでわざわざ足を運んでくれた、そこに思いを至らす想像力に欠けている。客が入ってきて顔を合わせる段階である程度勝負はつく。ウェルカムかどうか客は一瞬にして自分が置かれている状況を感覚的に判断するのだ。愛の大きさや質を嗅ぎ分ける。ある程度日数もたち慣れた従業員より右も左もわからない新米の方が客の受けが良かったりする。新入者はまだ何も知らないと言う引け目を感じている。行動は自ずと謙虚になる。謙虚さや一生懸命な気持ちで接することに客はひとつの愛のかたちを見る。しかしひと月ふた月、慣れるに従って気持ちもゾンザイになってくる。スーパーバイザーとしてごく最初よりは慣れ始めた頃から注意を向ける必要がある。レストランでの仕事自体は非常に単純なものである。仕事のプロセスや技術の習得にさほど時間を要しない。頭を絞ることもない。だからレストラン業務の位置づけは低い。その為従業員の獲得に苦労するのだがこの位置づけは間違っている。レストランに関わらず直接人と接するもてなし業は物でもなく知恵でもなく技術でもなく、より価値のある心を使うことでビジネスとなす。勿論どんな仕事だろうが心を使う必要はあるがレストランほど心をどれだけくだいたかがその価値を決定づける業種はないと思う。生きることの意味に直接関わることになると思う。宗教臭くなるほどに、これだけ意味深く捉えようとする必要はないのかも知れない。自分から進んでこの業界に飛び込んだわけではないので、自分とこのビジネスの関わりをあらゆる面から見ることによって自分が携わることの意味を見出したかった。今日も客の動きから満足度を計る。従業員の動きから心がどこを向いているかを確認する。従業員と客の間を行き交う愛の波動の周波数を感じとろうとする。
2007年2月12日月曜日
傷害事件
かわいい顔立ちをしていた。いまいちの顔立ちの子の求人応募が多い中で目立った。インタビューをしてみても言動や態度がしっかりしている。フロアマネージャーも是非にと乗り気なのでパートだが雇うことにした。今思えば幾分引っかかるものもあった。職業的勘なのだが気にしなかった。客の受けはそれなりに良かった。誰にでも気軽に声を懸けるからほかの従業員も彼女とやりとりする回数は自ずと増える。相手によっては馴れ馴れしくなる。事件は三ヵ月後に起こる。従業員の内のひとりにおっとりした皿洗いがいた。彼に対してはなれなれしさが高じて軽い気持ちでからかったりしていたのだろう。平日のディナーシフトだった。アシスタントマネージャーから連絡が入った。興奮していて何を言っているのかわからない。早く来てくれというのは伝わったので買い物も取りやめて店に急いだ。裏口から入ると右手に女性のバスルームがある。扉は開けた状態で彼女は立っていた。鏡を通して見える彼女の顔面が膨れ上がっている。手からあふれていたティッシュは鮮血で染まっていた。彼女に声をかけるより先にホールに行ってみた。その皿洗いがふてくされた態度で突っ立っていたので事情は大体わかった。アシスタントマネージャーに事の成り行きを聞いたが殆ど把握していない。とにかくその彼が彼女の顔面をいきなり殴ったらしい。彼に聞こうとするが殆どしゃべらずスパニッシュで口ごもるだけなので全く要領を得ない。後ろに回りそこで初めて彼女に声をかけた。最初に手を出したのは彼女のほうらしい。いつも冗談交じりに彼を小突いていた。それが高じたのかあるいは彼の虫の居所がたまたま悪かったのか結果として傷害事件となった。彼女は割りと落ち着いていた。ポリスに連絡するからと言うと事を大きくしたくない様なことを口にして、止めた。しかし私自身それでも連絡して両者の言い分が記録されたほうが、いく所まで行った折に助けになるような気がした。がやめた。彼はイリーガルだ。やぶ蛇で店に火の粉がかかるかも知れないと咄嗟に思った。それよりも何よりも傷の手当てのほうを最優先しなければならない。救急につれていった。出血は殆ど止まっていたが鼻血がゆっくり流れるのを時折ふき取っていた。救急医は彼女の顔面をゆっくり押さえていきながら彼女に痛みのある箇所を確認していった。立ち上がるとレントゲンを取るからといって彼女を促し私は待合室で待つこととなった。私も幾分落ち着きを取り戻したがこれからの事を思うと気が重かった。小一時間たった後、彼女は重い足取りで出てきた。鼻に添え木をあてがえていた。鼻の骨が折れており整形手術が必要なことを告げた。あとは何も話そうとはしない。早く帰ってゆっくり休んだほうがいいとだけ伝え店の彼女の車の所まで送りそこで別れた。それから二月余りの後、次に彼女にあったのは裁判所の法廷の場である。事件の次の日、彼女からしばらく休む旨の連絡がフロアーマネージャーに入る。二週間ぐらいして知らないロイヤーから連絡がありFAXを送るので番号を教えてほしいとだけ連絡があり切れた。それからすぐにFAXが音を立て一面黒に白抜きの大きな文字でURGENTと送信され、それに続いて告訴する用意のあることとこちらのロイヤーにすぐ連絡するよう、責任者の連絡先を直ぐに知らせるよう送ってきた。客のロイヤーにこの手の専門ロイヤーを紹介してもらいそれから先が見えぬ苦痛の日々が始まるのだか、今思い出してもどういうプロセスを取って何をどうしたか良く覚えていない。結果的には彼の裁判で一年かそこらの執行猶予つきで慰謝料が結構な額だったと思う。店としての落ち度はなしとの事なきを得た。不安で怖くて悩みぬいた末あるとき心の変化が起こりそれからは自分でも不思議なほど気が楽になってひとつひとつこなしていった。そのときの内面の軌跡は”地獄を見る覚悟”に記してある。
開放釈放という恵み
解放釈放という大きな恩恵を受けるときを人類は迎えている。食口、あるいは元食口の枠の中の釈放なのか。あるいは人類全体にたいする釈放なのか。み言に触れていない多くの知人やともに働く人々もいる。私は祝福家庭あなたは堕落世界の家庭、私は恩恵を受ける立場あなたは恩恵から漏れた立場そういう割り切り方でいいのだろうか。私たちに働く神はいるが彼らに働く神はいないということなのか。店はどうなるかわからないけれど、自分は参加するようにと言われた指示に従うまで、と言うその言い方は少し違うように思う。そこに意識しない傲慢さが潜む。そういう傲慢な思いを下げて恩赦の場に望めるのだろうか。店に対する(ましてやTP直属)心配や、他の従業員に対する感謝の気持ちをあわせ持たないないまま、自分は釈放されたと手放しで喜べるのだろうか。終わったら何食わぬ顔でまた店に出て、当然のように給与だけは頂く不思議な存在だ。霊的な恵みを受けたという意味は、その霊的恵みを内的に理解して、私の中に留めずに周辺に施して、霊的恵みの結果を形として周辺に現してこそ、霊的恵みを受けたと自分は納得できるはずだ。霊的恵みの結果を未だ出せないでいるなら、霊的恵みを地に漏らしてしまったと言われても仕方が無い。私達は多くの霊的恵みをその都度受けてきた。そしてその都度、結果を出せないでいる。であるなら、私はその負債をしっかり溜め込んでいる。霊的恵みは内的霊的に理解してこそ霊的恵みに対処できるのであって、祝いのケーキのひとかけらでも戴いたようなものだろうと簡単に思うのなら、それは大きな負債となって清算を迫られる。復帰された本来の私に取って恵みなのであって、未だ堕落の実としての私が八割方占める今の私に取っては恐ろしい戴きものだ。
システム疲弊
この店を担当し始めた当時、殆どの従業員が兄弟で占められていた。マネージする側も従業員としての兄弟側もお互い甘えの構造でドップリだった。扶助制度のため、給与を貰って働くという意識はなく、経営側としての裁量は如何に機嫌を取るかだけに追われていた。人事権もなければ給与査定もない。下手に事を荒げないように兄弟間に於いて平穏に過ごせることだけを考えながら毎日が終わる。これはビジネスとは言えないだろう。形を変えたファンドレージングに過ぎない。移動しない万物復帰だ。そのシステムでいくならそれでもよかった。ただ発展する可能性はないだろう。しかし問題は他にもある。従業員として兄弟のほかに給与制の従業員を雇う。それでも人手は足りないので更に給与制の現地兄弟も雇うことになる。給与対象以外の兄弟、給与制の従業員、そして給与制の兄弟、この三つ巴のトリプルスタンダードは矛盾を通り越していつ破裂分解しても可笑しくない状況だった。三者間のギャップをどう埋めるのか、み旨だと納得させても言葉に行動に感情に出てくる。店は完全にバラバラだった。あの時の状況に比べると大分スッキリして来はしたが、未だに人手不足で兄弟を雇わざるを得ず何人かは雇っている。素直な感想として兄弟は外の空気を吸ってみるべきだ。外の波をかぶらないと思考回路は繋がらない。働く事と受け取る給与との関係性を捉えることが出来ずにいる。さほど給与もあがらないだろうが首を切られることも無いという安心感でゆで蛙状態にある。それを当の本人も気付いてはいない。
経験という価値
新しい店を作ったが失敗したとか投資したが帰ってこないとなると負債として結論づけることになる。どこがまずかったのか甘かったのかしっかりと検証する必要がある。失敗の検証は成功する以上に大切だ。失敗から学ぶことは成功以上にある。ある意味あきらめずに前進し続ければ失敗という認識すらない。失敗と言われていたものは成し遂げるまでの学習のひとつとなる。経営するうえに於いても新しいことをやろうと思えばそれなりの経費なり人件費なりかかる。試行錯誤しながら挑戦するわけだから百発百中という訳には行かない。三つ打ってひとつあたれば上出来と言えるのではないか。では後の二つはただの無駄遣いだったのか。そこから何の学習もないと認めるならば浪費に過ぎない。しかし多くを学べば使った時間や費用以上の収穫をえる。それは今後の経営に大いにプラスになるし内的成長に繋がる。コスト削減に神経質になって新しい投資に躊躇していると発展は望めない。上限を決めて経費を使い勉強代として受け入れる余裕もほしい。パラドックスをどう自分のなかで理解させるか。懸けるべきところにはしっかりかける大胆さと反面、鉛筆は最後まで使い切るという細かさの両面を持ち合わせる。
2007年2月11日日曜日
意識改革
献身という言葉がある。自分は献身者だと思ってやってきた。では献身者とは?全ての財をささげる、中心者の判断に全てを任せる、み旨ができる最低限の生活、等等。献身者というひとつの捉え方が皆にもあり自分にもあった。しかしその捕らえ方はアメリカに来て崩れる。崩れて良かった。献身者という言葉は別としてそういう捉え方やくくりは本当の献身の意味からすると幻影に過ぎないだろう。そういう捉え方に自分を合わせることで自分は良しとされた、と勘違いをしてしまう。全てを捧げ、言われるとおりにし、やるべきことをやっていればまっとうな信仰者だと安心感を覚える。本当は違うと気付いていても周りの兄弟や状況に合わせる事でうやむやにする。献身生活とこの世で言う所のビジネス行動とは相容れない。相容れないものを一つにしようという矛盾に気付かないと何も進まない。やっていることは同じように見えても根本動機や基本コンセプトが違うと全く違うものとなる。普通、自由主義社会において生活を送ると自分の能力や技能によって受け取るものも環境も変わってくる。そこに向上思考や向上心が働くひとつの理由がある。いい意味でも悪い意味でも競争意識が働く。しかし我々は社会主義的な要素があまりにも強い。勿論私の独断ではある。富を得ることは悪だ、楽をすることは悪だと言う刷り込みが入っている。そして中心の指示は絶対、となると普通指示を受ける側はいつ移動や人事の話がでても身軽に移動できるようにという意識が働く。それが身の回りの事だけには留まらない。内的精神的にもしかりで、あまり今の所に力を注ぐと離れづらくなるという無意識なる意識が働く。いやらしく言うとどうせここにずっと居る訳じゃないから、ということになる。そういう状態が続いてきたため自分の力や能力を出せずにいるのに、自分では精一杯がんばっているつもりになっている。自分でも頑張るという意味がわからなくなっているのだ。労働自体が意味があると信じ頭を使うことや心を使うことが抜け落ちている。体制がそうさせたのかそういう人間が集まったのか、おそらく両方だろう。勿論自分もそのあたりの意識改革は他の兄弟と同じように課題だ。かといってこの社会の基準に迎合するわけにはいかないだろうからそこに想像力が必要になってくる。、せめてこのあたりの平均年収くらいは戴いて平均的文化生活をしてみないと客の嗜好や求める雰囲気はわからないし提供できないと思う。いまでこそないが平気で欠けた食器やすりきれた下駄を使っていた。兄弟からすれば節約だと当然のように思っているが客からすれば失礼なプアーサービスで離れていく。一事が万事全体的に我々の店は貧乏臭いということになる。雰囲気にしろサービスにしろ盛り付けにしろセンスはない。エンゲル係数が高い者がレストランをやると味と量と値打ち感が全てと思ってしまう。コスト削減、減らすことばかり考えているから売り上げも減る。指示待ちモードでずっとやってきたから自分から何かやるという思考経路は無いし、自己否定とは考えないことだと勘違いしているからなんの発想もわかない。人を雇うにも自分以上のレベルの人は早々に辞めるか逆に雇う側がうまく使われていたりする。だからまともな人は雇えない。マイナス要素ばかり並べたが現実をしっかり把握しないと次のステップには進めないだろう。
2007年2月10日土曜日
愛すべき我がレストラン業
レストラン業務は決して楽ではない。長時間労働、夜遅くまでの業務、勤務時間中は立ちっぱなし、客相手であるから神経もすり減らすし、従業員間のいざこざは絶えない。私はショウキュウタロウです、と名を名乗ればレストラン業務ということである(少給多労)。レストランの立ち上げは雰囲気をどうするだとかテーブル配置を決めたりメニューを決めたりと、創造過程には夢や理想はつきもので楽しい。しかしいったんオープンにこぎつけ頭が次第に冷めてくると現実問題が山のようにあふれかえってくる。根っからの人好きでないとまず務まらないかも知れない。頭をかかえる八割がたが従業員問題である。レストラン業の世間の位置づけからして、先ず一般的な我々が考える人材は雇えないし集まらない。一癖もふた癖もある人か、彼らが言うまともな職にありつけるまでの腰掛的人材のみだ。コンセプトだ戦略だとビジネスらしきことに手をつけることができるのはずっと先の話となる。きっと毎日の営業だけで精一杯という状況の店が半分以上だろう。マネージャーとは本当に名ばかりで、足りない人手の穴埋めと半人前の従業員の手助け、そして苦情処理の毎日に明け暮れることになる。余程の信仰者か余程のお人好ししかこんな商売選ばない、と正直私は思う。従業員の入れ替わりが激しすぎて両手を挙げるか意味も無く笑うしかない。一度入り込んでみないと解らないし、その状況は理解を超える。本部からいろんな意見を戴いてきたが、説明するのもため息がでるほどの状況は入ってみないと解ってもらえないと思う。しかし問題の大半はコミュニケーションであったりサーブの心がけや姿勢、態度であったりと、人と人との関わりに関することだから問題が多ければ多いほど携わる人間の内的成長度合いも大きくなってくる。勿論この仕事に腰を入れて見ようと覚悟を決めてからのことではあるが。耳にたこが出来るぐらい言われ続けてきた自己否定がここでは要求され、サーブするということは客に喜んでもらいたい幸せになってもらいたいという思いがなかったら続くものではない。そういう意味で人格的心情的訓練としては最適の場なのかも知れない。七年間の公式路程はレストランでということにならないだろうか本当に思う。そんなことで人手不足は解消しないだろうか?どんな魅力的仕事内容であっても嫌になったりマンネリ化したりすることはあるし、逆にどんな仕事でも情熱を持って活き活きとやることも出来る。要するに仕事そのものは選べなくとも、どんな風に仕事をするかは自分で選べる。仕事に対する意識や態度はどのようにも選べるということだ。この仕事を選んだ理由が何であれ、どうせ仕事をするならできるだけ楽しんでしたほうがいい。どんな仕事であっても微笑みと愛情を注ぐ。仕事に対する意識その一)態度を選ぶ(仕事をしているときどんな人間になる?) その二)遊ぶ(仕事の楽しみ方を研究し仕事自体を遊びに変えていく) その三)人を喜ばせる(どうすれば客と従業員そして自分を楽しませることができるか?) その四)注意を向ける(仕事に全力を注ぎ客に注意を向ける) 仕事を愛するとは自分を愛することに結局繋がる。
2007年2月9日金曜日
愛のペニー
ビジネス行動の核は人間としての本来的行動、為に生きる事と同じだと思う。すなわちビジネスも愛を動機としての社会的活動である。ビジネス=愛。 ビジネス=愛という表現をいかに社会に対して客に対して提供できるか。それぞれの団体の"為に生きる"という思い入れの強ければ強いほど、その団体なり企業は発展すると思う。あの大震災の折、いち早くムスビや毛布を届けたり援助の手を差し伸べた企業も少なからずある。社長の気持ちとして、日頃お客様やこの社会を通して活かされている、お返しが出来ることが非常にありがたいというのがあり、感謝の衝動としての表れなのだ。 会社はその会社や自分の為という以前に、人々の為にあるという姿勢が常にないとこのようなとっさの行動は出来ないだろう。愛を与えて喜びを受けることがビジネス行動の核であり、利益を得るのは客からの喜びや満足としての還元でありまたより大きな愛を提供する為の呼び水として捕らえることが大切だと思う。利益に対しての意識が儲けた金という物の段階に留まったら、それ以上発展させることはできない。それは価値創造の停止、授受作用の停止を意味する。利益は明らかに客の喜びや愛がかたちを変えて届いたものであるとの認識が必要だと思う。お金にしろものにしろ物を物として捕らえない、愛のひとつのかたちとして捕らえると、ビジネスも日々の生活も活き活きとしてくる。店のあちこちに客が落していったペニーが転がっている。そのペニーを拾い上げながら、ここまでのペニーの路程を思いこの店に落ちざるを得なかった訳をペニーに聞いてみる。ペニー一枚がいとおしくなる発見がそこにある。最小単位であるペニーを蔑ろにしてお金の流れを見ることはできないし、お金の価値を見ることも増やすこともできない。
ご要請
ここにいる恩恵で数十回にわたるお食事の要請を戴いてきた。一番最初の時のことは忘れたくとも忘れられない。感謝の想いで忘れられないのではなく、その衝撃で忘れることができない。その日電話は10時を越して入ってきた。まさか当日に要請があるとは思いもよらず、まさに寝耳に水、しかも昼食の時間まで二時間もない。レストランからホテルまで40分は掛かるのにまだ何の準備も出来てない、どころか店に行く準備すらできてはいない。食材の心配よりも何よりも時間的に無理である。無理であれば丁重に断りをいれれば済むだけの話だったのかも知れないが、その時は全く経験もなく断る選択があることなど眼中になかった。全てにおいてNOは許されないと言う思いがあった。まさに取るものも取り合えず身だしなみを整える余裕もなく無我夢中で準備し、あせる思いでホテルに届けに行った。入り口では御付の方数人、その中にJもおられた。”遅い!”と声を荒げ準備したものを奪い去るように持ち去りスイートルームに届けられた。時計は12時40分をこえようとしていた。J婦人に隣部屋に案内され遅いので御父様はハンバーグを少し食べられた事をそこで聞かされた。御父母様は殆ど何の会話もなされず食器の音だけが私を責めるように隣の部屋に響いた。食事をされる時間はいつも短い。食卓に並べるのが早いか下げるのが早いかと言った感覚である。その時も三分も経たなかったと思う。終えられたから挨拶をするようにと促され、着の身着のままの姿で敬拝をささげることになった。御母様が何か一言二言御父様にささやかれる。御母様は笑みを浮かべておられたが御父様は口を閉ざされ窓の方をずっと見ておられた。私の方に向きを変えられることはとうとうなかった。出るように促されJ婦人からご苦労様とねぎらいの言葉を戴いてホテルを後にした。あの時の凍りついた情景が目について今も離れない。一番大切な時、その時に自分はなすべきことができなかった。自分を呪った。あの時怒声でも浴びることが出来たらどれ程楽だったろう。しかし一瞥もされずにやり過ごされた。帰った折、相対には”満足頂けなかったので断食をする”とは言ったが本当の所はショックで飯が喉を通らなかったのだ。三日間の断食、いや食欲不振である。あの時の思いは切腹すら辞さないほどの落ち込みだった。三日三晩生きた心地はしなかった。日にちが経つにつれひとつの思いが表れた。私とTPとの距離は何を以ってしても埋もれない、幾星霜の隔たりがあるという事実だった。いままでの信仰生活いや人生すら否定された思いだった。しかし、だからこそ慕うことが許され侍ることが許されることがどれだけ感謝であるかに思いは到る。それから来られる度にお呼びがかかり、その場でお声をかけて頂けることもあったが何度用意させていただいても最初に味わうことの出来たあの思いと心情を忘れたことは無かった。何度かお小遣いも戴いた。しかし私が戴いたのではなく全体を代表して戴いたのだという強い認識は、あの最初の経験が無かったらきっと無かっただろう。恐ろしくも栄光を自分のものとして受け取っていただろう。そして戴いたもの自体がありがたいのではなく、兄弟を代表した私の為、店の為、レストラン部の為、心を配って下さったそのことがありがたいのであって、分けていただいた気持ちを公的立場でありがたく頂き、その愛の何倍も返して差し上げたいと思う気持ちを大切にしたいと思った。
気付きに関する考察
人は置かれた状況が困難であったり、思い通りに行かない事で自分の運命を卑下したり、自分を惨めに思ったりと、いろんな感情に振り回される。ここで大切な事がある。いろんな感情を抱いている自分を観察できるもうひとりの自分を見出し主体に置くことだ。そのもう一人の自分は起こっている状況を十分な意識をもって気付く。そしてそれに対する自分の感情反応の動きを観察する。そしてその反応に対する認識の選択の自由は自分にあることに気付く。従業員も自分の思う通りには動いてくれない。何度も口をすっぱくして注意するがそんな一言で自分の思いが理解されるのであれば何の苦労もいらない。そこでその従業員に対して不平不満な思いやネガティブな思いが、自分の頭の中や感情体を占める。責任者としてその従業員に対する位置づけをわたしの感情判断にゆだねてしまうと、遠からずその従業員は離れざるを得ない。ここでもうひとりの自分が必要になってくる。もう一人の自分は、育った環境、置かれた環境のまったく違うこの従業員を理解することを要求しその従業員は私から学ぶ為に私の隣にいるのであり私は愛を持って教える為にこの立場を神が用意されたのだと私に諭す。心を平安に保てと要求されるのではなく、怒気を含もうが口早に説教しようがこの従業員を愛し正せと要求する。感情判断にゆだねて突き放すのも、取るべき姿勢を認めそう努力するもわたしの認識の選択の自由は自分にある。要するに外的状況は変えることができようができまいが、その内的状況を変える判断は自分にある。内的進路をどう取るかで新しい軸足を乗せるポイントが出来る。この内的判断を一瞬一瞬しているわけである。運命はそこを起点に変化しつつ展開していく。よって意識の方向に運命は動いていく。良心を顕在化させた新しい自分を中心に生きてこそ、堕落世界にどっぷり浸かった生活から引き上げられる。
特別修練会
今回特別修練会が行われる。いままでも何度か兄弟が参加するため店や他の従業員に無理を強いることが多々あった。自分が参加するのは当然であり店や他の従業員に後のことは任せて、さも当たり前という態度は為に生きる、犠牲的精神を教えられてきた者の態度としてあまりにも恥ずかしい。自分は恵みを受けて当たり前、意味を知らないあんた達は働いていろと言うのとなんら変わりはないと思う。終わったら、他の従業員に対する慰労の言葉も態度も無く、当たり前のようにもとの職務につく。裁きの気持ちのひとつもでてくるが本当は自分の態度や行動が信仰や愛とは別物であることに気付かない。そういった兄弟たちこそかわいそうな立場なのかも知れない。右を向けと言われれば右を向き、左を向けと言われれば理由も聞かず左を向く。そこに思考を働かせ感情を挟めば着いて来れる道では無かったのだ。隣で悩んでいる兄弟がいても自分がついて行くのが精一杯であり、自分の参加費用を何とかするので精一杯であり、周囲を思い遣る余裕など全く無かったのだ。自分を含めて心の狭い我々をし頼りにするしか出来なかった御父様や神様に想いをかけるべきで、兄弟に対して裁きの目で一瞥でもするなら、彼ら以上の裁かれる立場に自分はあるだろう。彼らと自分は別物という驕りは醜い。彼らの中に見えるものは自分の中にもある。自分の中にあるから目に付かなくてもいい事柄が目に付いて一言言いたくなるが、それは自分に向けて戒めるべき一言なのだ。
仕事に関する考察
従業員と店(会社)の授受作用の関係を見てみる。今までは従業員は労働を店に与え(GIVE)、店から給与を頂く(TAKE)。しかしこの関係性は交換条件でしかなく授受作用として発展しない。これからの関係性は”ものBASE”から”愛BASE"に意識モードを変えないと発展しない。愛BASEに目覚めると従業員と店の関係は店の為にと言う意識がすべての考え、行動の基本となり営業時間の間適当に体を動かしていればいいという状況からはるかに建設的なものとなる。そして店から受けるものは有形無形のエネルギー、例えば店が発展すれば喜びを感じるとか店を通して内的外的に成長させられるものがあるとかもちろん給与だってその一つではある。労働組合のごとく、労働の交換条件として給与は勝ち取るものと言う意識から、従業員と店との関係性は次元が高まり店と自分が一体となっていく、店の痛みが自分の痛みとして感じる、店の発展が自分の喜びとなる、などの授受作用としての発展スパイラルが築かれていく。給与は店から与えられるほんの一部でしかないし、もっと大きな魂の成長を与えられているという実感を受け取ることができれば、どれだけ仕事の意味は増すだろう。愛BASEとは店の為に、教会の為にという先ず意識が重要であって意識の伴わない労働にしろ献金にしろ経費であったり損金であったりの扱いに等しく、為になしたという意味合いからは程遠い。逆に言えば献金しているからといって為に生きた、み旨をなしていると言うことはできない。献金することに為に生きると言う意識が備わり、与えることの喜びとして扱われた場合、初めて意味をなすのであって、そうでなければ信仰しているという自己満足的安心感(しか得ることは出来ないという交換条件)で終わってしまうだろう。
対処意識と創造意識
食口、とひとくくりにすることは語弊があるが私の店で働いてきた兄弟をみるかぎりでは他の従業員、他の人との比較をみると”やる気”という気が希薄である。与えられた仕事をまじめにやっているけれどそこに夢だとか生きがいだとか熱情というもの(欲)を感じられない。与えられたことをこなすという意識はあるが自分でこうしたいこうなりたいという思い入れが希薄なのだ。新しいアイデアを出す、発想を出す、新しい物事を考えるという意識は、与えられたことをこなすだけの意識(対処意識)からは出てこない。今ある位置も与えられたもの、給与も自分で作り出したものではなく与えられたもの、すべてが与えられたもので自分で勝ち取ったものではない。今までもそうでありこれからもそうであるという意識が生き続ける。しかしこの世で成長しようとするなら(給与をあげるとか店をだすとか事業を拡大させる等)、対処意識では優位に立てない。自分から新しいものをつくりだす意識(創造意識)をもって新しい価値創造、価値提供をこの世にうってでる。それがいいものであれば(価値を認められれば)必ず屈服させていくことができる。新しい価値を与えるという企業的愛の形は為に生きるということになる。対処意識に固まってしまうと世間に受け入れられない(価値を認められない)陳腐な発想かせいぜい他の店の真似事しか出てこない。
2007年2月8日木曜日
地獄を見る覚悟
ひとり店に残って今日の締めをしながら、孤独と不安で泣きそうになる。自分のふがいなさや現状の窮状に押しつぶされそうになる。何日間悶々としてきたことか、眠れぬ日々をすごして来たことか。さも自分に実力でもあるように今まで経営してきたが、それが音を立てて崩壊してしまった。思いも因らない事柄によって、一瞬で築き上げたものは崩壊するんだという事実を突きつけられ、築き上げてきたものがどれ程頼りないものかと言うことを突きつけられた。内的なものを重視してきたつもりが、本当は外的なものに頼り、いつ消えるとも知れない儚く虚しいものに寄りかかっていた。ひとしきり過去への執着を未練がましく抱えて悶々とした末に、いまできることをやるしかない、結果は神様に任せるしかないという踏ん切りがやっとついた。。奇跡はここから起こる。いきなり売り上げが二倍になったとか抱える問題がいっぺんに解決されたとかではなく、自分の心の中に劇的な変化が起こった。理論上どうしようもない状況で、悩んで悩んで悩みぬいたのち右脳が動き出した。心が吹っ切れた状態になり、どうでもいい理屈が消えて本心が心と体を動かし始める。コンセプトだ何だ、たかが自分の考えなど知れている。今日という一日に自分の5%という最善を尽くす。そして結果は天に任せる。明日が消えようとも明日の事は明日が煩う。ただそれだけのことだ。自分がどう見られようが従業員がどうしようがそんなの関係ない。本部が何をしてくれるか?関係ない。今日一日を精一杯やれることをやる。一ドル一ドルの売り上げを、全てを振り絞って自分の力で復帰するだけ。それしか道はない。営業上の問題や窮地に見舞われたとき私たちは弱い。この世では本来自分の血と汗の結晶である貯金をはたいたり、こんな大金どうするんだろうと恐ろしさの伴う借金をしてまで店を出す。そういう覚悟があればこそいろいろな営業上の困難を乗り切ることができる。我々にはそれがない。自分の命と引き換えにこの店をやっているという覚悟はない。神様のためみ旨のため、言っているその口が腐る。聖業と言いたいのならどれだけ身の削る思いをしてきたか自分に問うべきだろう。
ビジネスの捕らえ方
私は、儲けるとか儲かると言う言葉にはしっくり来ないものがある。儲けるという言葉の意味合いの中には、うまく巻き上げると言う意味合いが感じ取られる。ビジネスの捕らえ方として二通りあると思う。ひとつはTAKEを基本コンセプトとした儲けようという利益中心主義のビジネス観、もうひとつはGIVEを基本コンセプトとした、価値を提供しよう(新しい便利さとか今まで無かったサービス)という他への喜びや幸せを与えることを中心としたビジネス観、しかしこの場合ボランティアとは違う与え続ける為にプロフィタブルであるべきであってプロフィットのためのビジネスではないということ。わたしが関わっているレストランに例をとれば、どんな店が儲かるのかと言う観点の立ち上げではなく、どんな店が客に喜んでもらえるか、魅力的な価値を提供できるかという観点からの立ち上げを意味する。私の店は取り合えず利益は出ている。これだけの利益を出そうとしてコントロールしたのではなく利益は結果に過ぎない。客に良かれと思い自分なりの価値提供をしてその価値を客が認めてくれた価値判断の数字が利益であるということ。だからフードコストを30%に抑えるだとかプライマリーコストを65%に抑えるだとかは経営状況のある一面のものさしではあるけれど、それを振りかざすことに意味はほとんどない。数字はしっかり見るべきなのはその通りだ。しかし結果の数字、あるいはある時点における切り取った断面の数字ではなく、どういう数字の動き方をしているか、動きの方が重要でありまたその動きの意味を探ることの方が重要である。
登録:
投稿 (Atom)